[コメント] かぞくのくに(2012/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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先に素直に映画の感想を述べると、普遍的な家族の心情を綴った良作だと思います。人々の気持ちの流れが実に自然。そして描写も過剰じゃない。涙ながらに走って車を追っちゃったりしない。いい映画です。 ただ、その設定が特殊なだけで。
ジョージ・オーウェルが「1984年」で全体主義ディストピアを描いたのが1948年。ナチス・ドイツの終焉が1945年だから、かの国はいつまでこんなことやってんだろうね、と思ってしまう。まあ、ベルリンの壁だって1990年まであったんだけどね。しかし、「スパイ」って言うと華麗なイメージだけど、「工作員」って言うと急に泥臭く感じるもんだね。
本作の舞台は1997年で、「25年ぶりの帰国」と言ってますから、16歳で渡朝したのは1972年という設定なんでしょう(同級生の設定に京野ことみは若すぎる気もするけど)。 私が北朝鮮の帰国事業なるものを知ったのは『キューポラのある街』(1962年)を観た1990年代頃で、ちょっとした違和感を感じたことを覚えている。北朝鮮の国情は触れられず、単に「友人との別れ」として描写される。現代で観ているこっちは「もう二度と会うことはないんだよ、可哀想に」と思うのだが、当時日本では北朝鮮の内情は知られていなかったのかもしれない。
これは『キューポラのある街』で描写された、帰国した者たちのその後の物語なのだ。 そう思うと、もうずいぶん昔の“歴史”と考えていたことが、今日まで爪痕を残していることに改めて気付かされる。
この映画の設定を面白くしているのは、かの国の“不自由さ”という枷だ。撃つべき対象があるから、語るべき物語がある。枷は物語を面白くする。シンデレラは午前0時までという枷があるから話が成立する。不謹慎なことを言えば、南北分断も含め、あの半島は設定の宝庫だ。 翻って今の日本は、自由で豊かで、枷がない。物語が撃つべき対象がない。つくづく幸せな国だと思う。
(14.09.13 CSにて鑑賞)
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