[コメント] いまを生きる(1989/米)
気にかかるのが、学生達はそれぞれの問題を抱えながらもエリート集団(頭がいい奴ら)であるということ。キーティングはだからあえて飛び込んだとは思えない。キーティングの登場は不必要に無駄なエキスをそそいだように感じる。
キーティングを必要としている場所はもっと違う環境ではなかったのだろうか。
彼の授業は「17才」に対する授業ではないと思う。
本当に純粋である「小学生低学年」もしくは、「世の中をある程度理解しえる」大学生以上に対するものだと思う。
素直に感動しえない自分が悲しいことではあるが。
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