[コメント] 失われた週末(1945/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ドランカーの自覚である。お酒を飲む者なら誰しも体験し誰しも覚え(覚えてないかもしれないが)のある行為であり映画だ。それをビリー・ワイルダーは嫌味でなく見事に演出しきった。ワイルダーでなければ、かような演出は不可能だろう。
それ以上にレイ・ミランドである。熱演というよりも狂気だ。お育ちのいいミランドがこのような汚れ役に挑戦することが驚異である。この紳士が作家で、友人達も立派に出世して、でも自分は売れない作家。ついに作家の命ともいうべきタイプライターまでも売り払おうとする、この恐怖、そして狂気。ミランドの狂気的な演技に喝采を送るほかない。
泥酔、酩酊などさ誰もが経験する人格変化。気持ちが大きくなったり、陽気になったり、酒は人生を楽しむためのものだ。しかし現実逃避の道具としても時として使われるときがある。自分を追い込んで酒を頼りに自分をおとしめて、そしてその現実から逃れられない恐怖。
酒を飲むという行為は自分という失われた人格との格闘なのである。でもワイルダーは決してかような屁理屈は申さない。あくまでもアメリカンファミリーとして、愛情としての物語に仕上げているのだ。
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レビューとしては同じですが、あらためて再見して思ったことは、「中毒」という狂気が私たちの生活のあちこちにはびこっているという恐怖。
何でもありですね。
ギャンブル、タバコ、風俗などなど、子供だってゲーム中毒です。怖いですよね。
ワイルダーはこのあたりの表現を極めつけに芸術チックに表現していますね。センスいいですよね。
どうしても酒が飲みたくて、部屋の掃除婦に払うお金さえもごまかしてそれで酒を2本買うわけです。1本は飲んで1本は隠す。そしてその隠した場所さえも忘れてしまう恐怖。
電球の傘に隠した酒のボトルが照明に浮きだって天井に影が反射しますよね。
こういうシーンというのはなかなか撮れない。
しかもモノクロという武器を最大限に生かしています。
『第三の男』を見たときもモノクロの影について強烈な印象を抱きましたが、このシーンのローアングルは絶品。
主人公がアルコールが切れてベッドでのたうちまわるその向こうの天井の影。こういうアングルは、やはりプロとしての真髄でしょうね。
質屋を探して歩き回るシーンも強烈ですね。それほどまでに酒が飲みたいか。
うーーーん。現実に起こりうることと思うと、恐怖が倍増しますね。
タバコと仕事の中毒にならないよう注意しようっと。
2010/08/08 自宅
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