[コメント] ブタがいた教室(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この話題は当時ニュースなどでも騒がれていたし、ドキュメンタリー番組のようなものもあったような・・・なので、結末は最初から分かっていました。そして私はこの授業に対し、否定的な感情を持っていました。大人になるにつれ、徐々に分かっていくであろうこの事実を、子供たちにあえて突きつけるのは悪趣味だと思うし、彼らのその後の人生にトラウマとして残るのではないかと思ったからです。
映画を見ていてもその気持ちは変わらず持っていましたが、いざ子供たちの討論が始まると、やはり心が揺さぶられます。ブタを食べたくないと主張する子供たちを見て、大人気なくも甘ったれた偽善者みたいな事を言うな!とイライラしたし、そもそも最初に先生は結末を告げたよな、それでも飼うと言ったのはお前らだろ!とも思った。けれどもあれだけ「いのち」と向き合い、いのちについて考えさせられる(というより、行動させられる)幼い子供たちを見ていると、この授業の真意を理解出来た気はします。
けれども、ここまで子供たちを追い詰めた撮り方をしておきながら、ラストはどう考えても制作者側が逃げたとしか思えません。「ブタを食肉センターに送る」=「ブタを食べる」という図式をうやむやにしてしまっては、この授業の、この映画の、この子供たちのガチの涙の意味がなくなってしまいます。いつの間にか、このクラスの出した結論が「Pちゃんを食べる」ではなく、「Pちゃんを食肉センターに送る」に摩り替わってしまっている気さえします。ではなぜこの作品はPちゃんを食べるところまでを描かなかったのか。確かに幼い子供たちをターゲットにした作品でもあるだろうから、そこまで描く事に抵抗があったのかも知れません。でもそれならこの話を映画化する必要もないだろうと思うのです。この授業の真意はソコですよね。いのちを食べるという事ですよね。映像化することに抵抗があったのならば、せめてあのクラスのみんなが「いただきます」と、声を揃える音声だけでも挿入するべきだったのではないかと思います。「いただきます」の意味を考える、それがラストにあるだけで、また随分と説得力を増したはずだと思います。
子供たちが大粒の涙を流して出した結論を、うやむやにしてしまった事は本当に致命的。
あと花ちゃんのポジションの不明瞭さも気になるところ。
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09.10.14記(09.09.26劇場鑑賞)
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