[コメント] ぐるりのこと。(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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橋口亮輔監督作品を初めて観ましたが、この監督はすごいパワーを持った才能のある方だったんですね。前作『ハッシュ』を観たいと思いながら見過ごしていますが、その後の経過年数を含めて、この映画を作るために相当な努力を重ねていらっしゃるように思います。
もともと芸術の世界とは、人間そのものを自ら暴露するようなもので、この映画に出てくる人たちもほとんどが、危うい人たちですよね。いずれも病んでます。そんな病的な世界を突き抜けた先に作品が生まれるものであって、橋口監督自ら、自分の来歴や精神的な圧力をこの映画にぶつけたような気がしますね。画面からオーラが出ていました。
特にいくつかのシーンで圧倒的な迫力あるシーンで印象的なところがありますが、特に長まわしのシーンは迫力満点。時代を超越して溝口健二や黒澤明を自らの作品で取り戻そうとしているように思えました。また、カットが同じ画面で展開されるシーン。冒頭の夫婦の会話などはイングマル・ベルイマンを思わせるカット。
この映画で劇的なシーンはほとんどないのですが、夫婦喧嘩でもつれあうシーンと、主人公の翔子さん(木村多江)が自らを悔悟して夫(リリー・フランキー)に告白して慟哭するシーンがありますね。シーンの中身は決して大袈裟なものではありませんし、劇的に表現しようと思えばもっと別の表現方法があったものと思われますが、橋口監督は敢えて役者の自然体と信じ、とことんカメラを同じ位置から動かさないように撮っています。すごいシーンですね。
この映画は大きく
1、家族 2、裁判
の二つに、ほんの少し職場の関係を織り交ぜています。
家族についてはさらに
1、夫婦 2、親子 3、その他(兄嫁など)
の関係で交錯するのですが、この相互関係が絶妙です。いずれも現状の関係に満足するでもなく、しかし、その感情を爆発させるでもなく、でもお互いが家族でありながら同調しようとしない関係。これ正に現実そのものですね。そんな関係に自然な成り行きをもたらすのがリリー・フランキーだったりするので、彼の演技力が結果的に素晴らしいものになっていますね。見事でした。
もうひとつの裁判劇の方は、現場を細やかに取材した形跡が認められると同時に、これまで日本の社会を震撼させたおおきな裁判を時としてドラマチックに演出していますね。いずれも疎外された人々で、殺人を犯した人。それぞれの境遇で犯行を反省したり、全く反省しなかったり、色々な結果にもたらされる不思議な違和感が、このドラマの大きな柱になっています。
この家族と裁判劇を時代を追いながら俯瞰的にみつめる視線がとてもクールでかっこいいですね。時代とともに人の感情や環境も変化する。凶悪犯罪が年とともに重たくなってくる。しかしその重さに人間がいつの間にか慣れてしまっている、という流れが冷静に描かれています。
そして主人公の女性が時代とともに得たものは、本人が「ちゃんとしたかったの」という意思とは裏腹に、自らの意志ではなく他者との関わりから初めて自分の存在意義を認識してゆく姿が劇的で感動します。もちろんその彼女を支える夫の姿勢が最も好感がもてるわけですが、二人が”絵画”という共通項で困難を乗り切る自然ななりゆきが、この映画を圧倒的に存在感のあるものにしていますね。
で、
何が「ぐるり」なのか?というのが私的には良く理解できなかったんです。別にタイトルにいちゃもんをつけるつもりはないのですが、「ぐるり」という言葉に、私たちは予め安心感を抱いてこの映画を観ているんだと思うんですね。だから安心して見ていられる。実はこの人間関係って、もっと生々しいものであって、病気になった主人公のことも含めて、より厳しい関係であるはずなんですね。
つまり「ぐるり」は「癒し」の言葉だったのではないか?と思っています。よくはわかりませんが、「ぐるり」という言葉に大きな円と縁、そして癒しのイメージがあると思うのですが、この点だけがよくわかりませんでした。
でも素晴らしい映画ですよ。
感激しました。
2009/8/16
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