[コメント] 潜水服は蝶の夢を見る(2007/仏=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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こーゆーのね、ホントはダメなんですよ、わたし。難病モノってヤツ? 苦難はかくも大きいが、希望を失わずにがんばろう、がんばろうって展開で泣かせるヤツ。
それができりゃあ、苦労はしないのだ。
どうしてもがんばれない、かくも弱いわたしが、どうやったらソレができるのか。知りたいのはソコなのだ。
わたしのそんな問いは、実はその題名で答えられてしまっている。
そう、蝶の夢を見ればいいのだ。
この作品は、悲劇に直面することで“人間の本質”やら“お金よりも大切なモノ”とやらを見つめる感動作なんて大層なモノではなくて、深海の底にいようとも以前と変わらずひらひらと自由に舞うモテ男のカサノヴァ物語といった方がずっと正しい。
事実、映画の後半になってカメラが主人公の限定された視点から解放され、彼自身をロングショットで映していくようになると、この難病に苛まれているハズの男が、ひどくうらやましいヤツであることに気づかされる。
なにせモテモテなのだ。
妻やら、療法士たちやら、アルバイトで雇った女の子やらといった美女たちにいつも囲まれている。いや、女にモテるだけではなく、親友や息子のような同性にだって好かれているのだから大したものだ。
もちろん、哀れみからチヤホヤされているのではない。その逆で、周囲の人々が彼を必要としてしまう。なぜって、肉体的に不自由のないハズの彼女たちよりも、ジャンの魂はずっと自由なのだから。
事実、映画の後半になってカメラが主人公の限定された視点から解放され、彼自身をロングショットで映していくようになると、この難病に苛まれているハズの男が、ひどくうらやましいヤツであることに気づかされる。
だから、メソメソと泣いてばかりの妻は、すがりつくようにして彼の側に居つづける。言語療法士の女性は、彼の言葉を“聞こう”とひたむきにアルファベットを唱える。(使用頻度順にアルファベットを言っていくという方法で、まばたきの合図だけで彼が“しゃべる”ことを可能にしていたのだ。)「お前に会いに行けない自分が情けない」と電話越しに嘆く病身の父親は、“泣かないで、パパ”と息子の方が慰める。 そして、かつて恋人だった女は、「会いにいく勇気がないの」と泣く。「貴方を愛しているのに。わたしを許して。」と哀願する。どうしようもないギスギスとした別れをしたはずのその相手に、ジャンは電話越しにこう言ってあげるのだ。 “僕も、毎日、きみが来るのを、待っているよ”、と。
こうして、まばたきという微かな動作だけで、この男は私がたとえ大声を張り上げてもできないコトをやってのけてしまうのだ。
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