[コメント] スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(2007/米)
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精神的に不安定な人には結構床屋嫌いな人が多い。基本的に椅子に座ってじっとしていなければならず、結構近い距離で密着されもする。かくゆう私も床屋嫌い。そんな床屋への恐怖から物語りが生まれたと思えなくもない。
さて、物語は最初から最後まで血みどろで生臭い。思えば復讐劇は関係ない。目の前に厳然たる生活苦があり、そうした事情はあるものの、結局はただ金のために無垢の人々が肉へと加工され続ける…。この二人はそうとうに病んでいる。
しかし救いなきように見える物語も、ラストに娘は助かるのであって、これはトッドの意図したところでもあり、不自然にも見える課程はバートンの作為を思わせる。そういえばパイ屋のおばさんはトッドの復讐心を汲み取り、肉体的にも寄り添いながら常に諫めようとしていたのであり、その点では手段を問わず懸命に努力していた。また、亡き理髪師の連れ子についても、あわよくば母となり育てはぐくみ成長を見守ろうとしていたのであり、事情が許さず叶わなかったに過ぎない。
「俺の顔を忘れろ」。娘の顔を見ることも叶わぬまま、15年もの間彷徨いつづけたトッド。殺人鬼と化した親としての責務を果たすかのように、図らずもこの言葉を投げかける。
「生地の薄さを味わえ」。動脈をすこし破れば、大量の血が噴き出すのであり、運命の歯車が狂えば人は容易に悪魔と化す。薄皮一枚で隠蔽され隣接している外部には、血みどろの世界が待っている。
細部は詩的で美しい。しかし負の情念があまり余って相殺しきれていない感。
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