[コメント] マッチポイント(2005/英=米=ルクセンブルク)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ウッディ・アレンとイングマル・ベルイマンの比較はもう無意味なのかもしれない。かつての『インテリア』のようなウッディ・アレンではない新たな彼の行く先は、もっと奥深く、そして官能的で、残酷で、悲しいものなのかもしれない。
この映画のテイストにも色々なものが隠されている。
そもそもスカーレット・ヨハンソンの存在が不気味だ。彼女の魅力にとりつかれる男の姿がどんどん惨めになってゆく。しかし彼女に対する愛欲は納まらない。愛ではなく愛欲だ。セックスしたいだけだ。これが男の欲というものか。彼女が雨の中を一人歩いて行くところを男が追い、そして麦畑で交わる。このいやらしさ。雨とそして麦畑、このひわいな想像力。雨は愛液か、麦畑は陰毛かもしれない。ウッディ・アレンらしい表現だ。
女は男の口説きを交わしつつ、男が大富豪の娘と結婚することを否定しない。むしろ「あなたがヘマをしなければ、彼女と結婚するわ」「ヘマとは?」「私を抱くことよ」 この会話も凄い。誰も思い浮かばない。
そして何よりニューヨーカーでユダヤ人のウッディ・アレンがイギリスはロンドンで繰り広げるこのドラマの見事さが評価できる。アメリカ人の二人が陰に隠れて愛欲を繰り返す。しかし妻はイギリス人だ。そしてなかなか子供ができない。むしろ浮気相手との間に許されざる子供ができてしまう。
品格を重んじ、オペラに興じるイギリス貴族と、アメリカ人男女の愛欲の品のなさ、この比較が最後、彼が投げつけた結婚指輪が川のほとりでバウンドして、川の向こうに落ちるか、手前にとどまるか、長い長いスローモーションで、ドラマの行方を暗示する。このシーンの見事さ、全体の細かい構成からおちてくるこのリングの物語。
それがテニスボールとの対比で映し出される。テニスはイギリス発祥のスポーツ。その国で生まれる悲しいアメリカ人男女の許されない愛欲と残酷。この語り口はウッディ・アレンだからこそ許されるものであろう。
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