[コメント] 悪名波止場(1963/日)
朝吉と盃を交わしたモートルの貞、そして貞の妻となったお照。
シリーズ第2作目までのこの何でもない関係が、モートルの貞の突然の死により3作目から複雑な関係に変わってくる。3作目からはモートルの貞の弟という清次が登場するからだ。
4.5作目では、亡くなった貞とは天と地ほども差のある清次に嘆く朝吉だったが、前作からは清次もすっかり朝吉の虜になったらしく二人の関係は強固なものになってきた。
だが、問題は未亡人となったお照の存在だ。殺された亭主そっくりの弟の清次に女の血が騒がないはずはないだろう。しかし、お調子者の清次に対してお照は常に義姉の立場を崩さない。
そしてシリーズを経る毎にお照の気持ちは朝吉にあることが判明してくる。だが、作品中ではその辺りを深く描こうとはしない。二人で同居し、外見上はまるで夫婦のような生活をしている二人。女遊びをして帰ってくる朝吉に軽く嫉妬するお照の姿は描かれたことがあった。その心情は如何なるものだったろうか。しかし、本作では遂にお照は直接的な表現を顕わにするのだった。
「私だって抱いて欲しいのに・・・」
遂に来た!安定しかけマンネリ化するシリーズを転換するキーワードのはずだった。しかし期待は大きくはずれる。軽くその言葉を流して終わりなのだ。
このマンネリ化したシリーズは毎回、新たな敵が現れては解決するというストーリーである。これではマンネリも当然である。外の敵という外的要因による変化は行き詰る。ならば主要キャスト3人の中に潜む内的な爆弾に何故火を付けないのか?
外と内というふたつのドラマを並行に描きつつ一本の作品を完結させていけなかったのが、このシリーズの底の浅さである。それぞれ映画史に残る特異なキャラクターでありながらもうひとつ私が満足出来かねる原因がここにあるのです。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。