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[POV: a Point of View]
ジュディ・ガーランド

今度は40年代を代表するミュージカルスター、ジュディ・ガーランドを取り上げます。  プロフィール付  1922年6月10日米・ミネソタ州クランドピッズ生まれ。本名はフランシス・エセル・ガム。歌手の父親とピアニストの母親の間に生まれ2人の姉と共に育てられる。父親は小さな劇場を持っていて彼女も姉と共に舞台に出演する、33年頃一家そろってカリフォルニア州に移住。町の演劇学校で学びながら児童劇団に参加しやがて有名なヴォードヴィリアンのガス・エドワーズに認められ姉のメリー・ジェーン(スージー)とヴァージニア(ジミー)とガム・シスターズを組んで幾つかの劇団に出演、34年にシカゴの劇団に出演した時ヴォードヴィルの大物ジョージ・ジェッセルの進めでガム・シスターズからガーランド・シスターズに改名、ジュディ・ガーランドの名は彼女が好きなホーギー・カーマイケルの歌「ジュディ」に因んでつけられた。35年にシスターズは解散ジュディは作詞家リュー・ブラウンに進められてハリウッドに行きジェッセルの助けもあってMGMと契約、36年のディアナ・ダービン主演の短編映画「エヴリ・サンデー」でデビューし同年に20世紀FOXに貸出されて「ピックスキン・パレード」にも出演、MGMに戻ってヴォードヴィルの女王と称されたソフィー・タッカーについて歌を学び数々のミュージカル映画に端役で出演し始めての大役をへた「踊る不夜城」(37)で注目され39年に当時名子役だったシャーリー・テンプル用に企画される筈だった「オズの魔法使」のドロシー役に起用されスターとなる、その後「青春一座」(39)等の青春ミュージカルでミッキー・ルーニーと名コンビとして知られる。「若草の頃」(44)や「踊る海賊」(48)等で40年代を代表するミュージカルスターとして活躍、ジーン・ケリーやフレッド・アステアと当時を代表するミュージカルスターとも共演した。48年頃からは肥満抑制剤、睡眠薬等のドラックによるノイローゼで49年の「アニーよ銃をとれ」では途中で降板してしまった。MGMからは契約一時停止をうけ50年には自殺未遂まで起こしてしまい低迷すると誰もが思うなかプロデューサーのシド・ラフトによりフランク・シナトラやビング・クロスビーとの共演でカムバックした。「スタア誕生」(54)では後に高い評価を受けるものの当時は結果的に失敗した為、映画女優としては人気が下降し晩年にかけてはステージで活躍する。「オズの魔法使」でアカデミー賞主題歌賞と特別賞を受賞する他ゴールデン・グローブ賞では「スタア誕生」で女優賞、セシル・B・デミル賞を受賞。アカデミー賞の方では「スタア誕生」で主演女優賞「ニュールンベルク裁判」(61)では助演女優賞にノミネートされた。69年6月29日に睡眠薬多量摂取より死去。五度の結婚暦があり二度目の夫ビンセント・ミネリとの間に生まれた娘ライザ・ミネリは女優となる他52年に三度目の夫シド・ラフトとの間にも次女のローナ、長男のジョーをもうけた。
A★5若草の頃(1944/米)ジュディ・ガーランドが『オズの魔法使』の時とは違った少女の純粋さを表現していて興味深い。 [review]投票(1)
A★4オズの魔法使(1939/米)サイコー、ジュディ・ガーランドの「オーバー・ザ・レインボー」がいい、いつまでも残したい名作です。 [review]投票(1)
A★4スタア誕生(1954/米)自堕落的な生活を送りながらも、エスターとは衝突せずに最後まで彼女を支えるノーマンの姿は感動的。 [review]投票
A★3ニュールンベルグ裁判(1961/米)役者に関しては結構豪華。 [review]投票
A★0ジーグフェルド・フォーリーズ(1946/米)
A★0イースター・パレード(1948/米)
A★0踊る海賊(1948/米)
A★0サマー・ストック(1950/米)
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