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[POV: a Point of View]
デヴィッド・サミュエル・ペキンパー
MASTER OF VIOLENCE

1925年2月25日生/過度の酒を飲みコカインを常用。プロデューサーに喰ってかかり、妻を殴り、俳優に喧嘩を仕掛ける。求めるものを得る為にはスケジュールも予算も、恩人や友人との約束も守らない。気に入らないスタッフは(たとえ実の娘や親友であっても)撮影中にどんどん解雇する。自分から人に好かれようとはしない男。/D・シーゲル『第11監房の暴動』でサード・キャスティング・ディレクター。TVドラマの仕事を経て『荒野のガンマン』で映画監督デビュー。『ダンディー少佐』でプロデューサーと衝突。トラブルメーカーのレッテルを貼られ以後5年近くハリウッドで干されることとなりTV界に戻る。ドラマ『ヌーン・ワイン』の成功が鍵となり『ワイルドバンチ』でカムバック。『ゲッタウェイ』で初の興行的成功。仕事もなくアルコールとコカインの禁断症状に苦しんでいる時に、師シーゲルに声をかけられ『ジンクス! あいつのツキをぶっとばせ!』で数週間だけ現場復帰。5年ぶりに与えられた作品『バイオレント・サタデー』では、この問題児を起用する条件として数々の厳しい条件が突きつけられたが、当時のペキンパーはそれを跳ね返せるような立場にはなかった。84年12月一人で旅行中のメキシコで倒れ、28日ロスの病院で永眠。心不全。/A=監督した作品(「ダンディー」以前)B=監督した作品(「ダンディー」以後)C=関わった作品。D=最終的には関与出来なかった作品。E=彼に間接的影響を与えた作品。H=「好きなのは自分の映画だけだ。他の野郎どもにいい映画を作ってほしくない」と公言しながら、実は好きだった作品。
A★4昼下りの決斗(1962/米)「私はクロサワがウエスタンを撮るようにウエスタンを撮りたいんだ」
A★3ダンディー少佐(1965/米)「西部のガンマンの決闘なんて、プロデューサーとの対決に比べれば屁みたいなもんだ」
A★3荒野のガンマン(1961/米)「この映画で学んだ唯一のことは、脚本を直す権限がなければ二度と監督をしないということ」
B★5砂漠の流れ者(1970/米)「私のベスト・フィルム。真のラブ・ストーリーだ。何度見ても泣けてしまうんだ」 [comment]
B★5ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦(1972/米) [comment]
B★4ワイルドバンチ(1969/米)「我々の内にある暴力についての映画だ。憐れみや恐怖を通して精神の浄化に到達したかった」
B★4ガルシアの首(1974/米)「作りたかった通りに作った。良かろうが悪かろうが、気に入ろうが気に入るまいが、あれは私の映画だ」 [comment]
B★4わらの犬(1971/米)「くだらない小説で映画を作れと命令された。仕方なく、いい映画にしようと思ったまでだ」
B★4戦争のはらわた(1977/独=英)「ハルトビグ、もう一度ズボンを降ろしてやろうか?」
B★3ゲッタウェイ(1972/米)「初めて風刺を試みた作品だが、それはうまくいかなかった」
B★3ビリー・ザ・キッド 21才の生涯(1973/米)「『ダンディー少佐』以来の最悪の出来事だ」
B★2バイオレント・サタデー(1983/米)「勝手に編集された作品に失望し[サム・ペキンパー作品]のクレジットを削ってもらった」
B★2キラー・エリート(1975/米) [comment]
B★2コンボイ(1978/米)「この映画では、一日として満足のいく仕事がやれなかった」
C★3ボディ・スナッチャー 恐怖の街(1956/米)出演 及び 数カ所の台詞を手直し [comment]
C★3片目のジャック(1961/米)スクリプト
C★2戦うパンチョ・ビラ(1968/米)共同脚本
C★0ジンクス! あいつのツキをぶっとばせ!(1982/米)第二班監督(アクション・シーンのみを担当)
D★4大いなる勇者(1972/米)イーストウッド主演で企画 [comment]
D★4北国の帝王(1973/米)クノッフの脚本を加筆し3年かけて準備するが、パラマウントと交渉不成立。1万ドルで権利放棄させられる。
未登録 C=ドン・シーゲル『地獄の掟』『USタイガー攻撃隊』『暴力の季節』ジャック・ターナー『法律なき町』『硝煙』以上はいずれもダイアローグ・ディレクター(『法律なき町』は出演も)アーノルド・レヴィン『栄光の野郎ども』脚色。モンテ・ヘルマン『チャイナ9,リヴァテ37』出演。マイケル・J・パラダイス『訪問者』出演。D=ドン・シーゲル『ハウンドドッグ・マン
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