★5 | 主人公が少年院の教室で先生に誉められ一言つぶやく。「くそったれ。」当時その言葉は本当に僕の気持ちと一緒だった。 (ina) | [投票(5)] |
★5 | 煮詰まった十代をすごしてしまった人間には共感できる部分が多々あるのではないだろうか。二十年以上も前の作品だがけっして古くはない。 [review] (ハム) | [投票(4)] |
★4 | ホームベースを探して、夢の中で走りつづける「サード」を追うカメラが鮮烈。 [review] (くたー) | [投票(4)] |
★4 | 当時永島敏行はじめ、ど素人と思える演技が苦痛で馴染めなかったが、もしかしたら見ているこちらがど素人だったのでは…とおやじになった今思う。 [review] (chokobo) | [投票(3)] |
★4 | 考える。考えても無駄だ。しかし考える。走り続ける。意味はあるのか。永遠に走り続けるのか。分からない。しかし、走り続ける。 (死ぬまでシネマ) | [投票(1)] |
★4 | 彼は「あるべきはずの」ホームベースを探し求めて今も走り続けているのか?今となってはそこに何があったかを知っていた彼が羨ましくすら思う。同世代の私はホームはおろか何を探しているのだろう。先の見えないグラウンドを手探りで歩く。 (sawa:38) | [投票(1)] |
★4 | 高校時代何回も観てそのたびに鼻血を出した記憶がある。 (ナム太郎) | [投票(1)] |
★4 | 実際、野球用語で書かれたシナリオと映画はまるで違うのだけど、要所に寺山色は見て取れる。屈折してはいるが彼らの青春の輝きは、無為に過ごすよりも少年院の中のほうが良いのではないかという錯覚を覚える。トラックを周回するサードは永遠にその場を走り続け、決してトラック外には行けないのか。 (tkcrows) | [投票(1)] |
★4 | 閉塞世界に穿たれた風穴から見える幻影の「九月の町」は蜻蛉のように儚いが、一方で確固たる現実世界は劇画チックに暑苦しい。モラトリアムということの平熱での表現。底流では通暁する東と寺山の相反する共闘を大人子どもなサードが嘲笑う。 (けにろん) | [投票(1)] |
★4 | 森下愛子と志方亜紀子のW主演で「新聞部とテニス部」を観たい。音楽は田中未知のままで。 (sndtsk) | [投票] |
★3 | 確かに高校生の時は、友達とのお喋りが楽しくて笑い転げ、それが永遠に続くと信じていた。けど、自分の速さで独りで走らないといけないと感じたのは、いつからだろう? それに気づいた人と気づかない人を描いた映画。…でも私は未だにグルグル回ってるだけ。 (Linus) | [投票(7)] |
★3 | 映画自体は佳作の域を出ていないと思うが、永島敏行のセリフに感動した。「走れよ、自分の速さで。」 いいこと言う。人生の訓示としたい。
(いくけん) | [投票(5)] |
★3 | 永島敏行はどこからみても高校生に見えない。 (マッツァ) | [投票(1)] |
★3 | 故郷がなければゴールはないという寺山の図式が嫌いだ。回想編は空き地でのキャッチボールなど永島敏行の遣る瀬無さが印象に残るが、いくらなんでも峰岸徹のヤクザ弱過ぎ。 (寒山拾得) | [投票] |
★3 | プロ野球界のサードといえば長嶋。映画界のサードは永島。青春は永遠に不滅です! (TOMIMORI) | [投票] |
★3 | ATGだからやっぱり今で言うミニシアター系な感じ。印象的なシーンは多いが、ビデオで見たら飽きそう。永島敏行と森下愛子が若い。でも永島敏行は昔から苦手な顔。['03.11.9京都文化博物館] (直人) | [投票] |
★3 | 脚本寺山修司で少年院とくれば『あしたのジョー』。それに較べれば随分と小奇麗で上品な少年院だ。だが、偽善的な臭いは一層鼻につく。あんな処で暮らしていれば発狂してしまいそうに想うのは、俺がまだ青臭いせいなのだろうか。 (水那岐) | [投票] |
★3 | 少年院に「いる」という状態が先行し、「なぜいるのか」の理由が後置されているから、その原因と結果が分かりやすく結びついていない。ただ、ここで描かれている少年院の世界はなかなか興味深い。[フィルムセンター] (Yasu) | [投票] |
★2 | 公開当時、主人公たちと同世代だった。その後、劇場で何度となく繰り返し観た。にもかかわず、いくら思い出そうとしても僅かなシーンの断片が記憶に残るだけで、核心がすっぽり抜け落ちた極めて印象の薄い映画だった。今回、見なおしてみたらその理由が分かった。 [review] (ぽんしゅう) | [投票] |