「チャップリン」(システム既定POV)の映画ファンのコメント
僕はイエス様が嫌い(2019/日) |
子役遣いは米仏の水準に迫り、フィクス主体のコンティニュイティにも好感する。さて、とまれ「カミ」の映画である。これというのは、観客一〇〇人が一〇〇人「神」の映画であることを易々と諒解しうるよう誂えられた『僕はイエス様が嫌い』は、それと同時に「紙」の映画としても企まれている、の謂いだ。 [review] (3819695) | [投票(3)] | |
贖罪という概念は大人になって知るもので、子供の頃は戸惑い事の消失を願うだけなのだ。出木杉君への嫉妬と羨望は小さな悪意となって心に宿る。父親の愛を得られてなかった事を知るが後の祭。これは十数年に亘る悔恨の吐露で、それを責める資格は誰にもない。 (けにろん) | [投票(1)] | |
白銀の世界に象徴された少年のピュアな思いに涙が止まらなかった。神の不在を嘆くあまたの映画にあって、この純朴な“決意”のなんと力強く切ないこと。思いが切実であればあるほど、願うことと祈ることは、どうやら違うようだ。私だっていまだに混同している。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(3)] |