「小津安二郎」(システム既定POV)の映画ファンのコメント
煽尼采のコメント |
東京暮色(1957/日) | 最後の黒。小津的構成美と、黒の作劇術。 [review] | [投票(6)] | |
浮草(1959/日) | 殆どのカットに含まれる赤の鮮やかさ。反対色の緑が各所に配されているのも絶妙。加えて、茶系統の色の落ち着きと、白による視覚的な抜けの心地よさ。色と闇の対比も見事。画の構図も、屋内のみならず、狭い路地が織り成す直線の構成による、整然たる美。 [review] | [投票(4)] | |
お早よう(1959/日) | 「大人だって、余計なことを言ってるじゃないか」に続く台詞が殆ど小津映画への批判に聞こえて驚く(笑)。やんわりと自己弁護する場面も挿まれはするが、「テレビ」が象徴する新時代への推移を淡々と捉える脱構築的作品。おならの音にも諸行無常の響きあり。 [review] | [投票(1)] | |
秋日和(1960/日) | 原節子は、『晩春』の娘役で見せた存在感を、今度は母親役としての威厳と包容力として見せている。本作の孕む幾つもの「反復」の中で、これこそ最も感動的なものかもしれない。 [review] | [投票(1)] | |
秋刀魚の味(1962/日) | 頻繁に同一語句を反復する台詞回しが刻む小津的リズムはカット割にも表れ、効率的に物語を語る上では幾らか不要な(この「幾らか」という微妙さが絶妙なのだが)筈のカットが映画的時空間を現出する。不気味な傑作。 [review] | [投票(6)] | |
晩春(1949/日) | 魔物のようにさえ思える紀子(原節子)だが、彼女は自身の立場の不安定さに喘ぐ存在でもある。表情の振り幅の大きさ、彼女自身の動揺によって、映画全体を動揺させる眩暈的なダイナミズム。 [review] | [投票(6)] | |
麦秋(1951/日) | 時に過剰とも思えるほど人の出入りが激しいせいで、画面に厳密な構成美が認めにくい嫌いはあるが、この「人の出入り」はそのまま本作の主題でもある。 [review] | [投票(1)] |