★4 | 贖罪という概念は大人になって知るもので、子供の頃は戸惑い事の消失を願うだけなのだ。出木杉君への嫉妬と羨望は小さな悪意となって心に宿る。父親の愛を得られてなかった事を知るが後の祭。これは十数年に亘る悔恨の吐露で、それを責める資格は誰にもない。 (けにろん) | [投票(1)] |
★5 | 白銀の世界に象徴された少年のピュアな思いに涙が止まらなかった。神の不在を嘆くあまたの映画にあって、この純朴な“決意”のなんと力強く切ないこと。思いが切実であればあるほど、願うことと祈ることは、どうやら違うようだ。私だっていまだに混同している。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(3)] |
★3 | 前半チャド・マレーンが無意味に出過ぎ。だから後半の不在が際立つ、という効果にも繋がっていない。と云いながら、大阪人としては(お笑い好きとしては、と云うべきか)、チャドの映りが小っちゃ過ぎて可哀そうにも思う。
[review] (ゑぎ) | [投票(2)] |
★4 | あまりに小さきに過ぎ、日本における背教(?)体験のスケッチといった趣きだが、それはスコセッシの『沈黙』に較べなんとエスプリに富む一編だろうか。「キリスト教が判らない」と吐露する日本人は多いが、彼ないし彼女に「キリスト教観」があるのならそれは大方理解しているのだ。良くも悪くも二千年命脈を保った思想はそんなに貧弱な数の切り口しかないはずがない。これも初々しくキュートな背信だ。 (水那岐) | [投票(1)] |
★5 | 挑発的なタイトル(と英題)を頭の片隅に置いて鑑賞することになり、結末は多義的な解釈が許容される。私は反転した敬虔な作品と受け取った。撮影は邦画近年の傑作。 [review] (寒山拾得) | [投票(6)] |