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[コメント] エド・ウッド(1994/米)

「映画を作りたい」という情熱と衝動を持ってして人生を駆け抜けた人間、というなら何もエドだけじゃない。自分達だって同じではないか。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ……それが違うというのなら、今自分を、あるいはかつての自分を動かしていたのは何だったのかを考えて欲しい。「こうしたい」「ああなりたい」という「夢」が少なからずともあったはずだ。しかし現在自分はどうかというと、夢のようにはなっていないし、夢に邁進しているつもりでも、ひょっとしたら才能が無い?という疑問を持ち始めることもあるかと思う。

 本作でエド・ウッドは、人一倍映画への情熱が激しい人間ではあるが、それと反比例して映画制作のセンスが余りにも無かったということもきちんと描かれている。とにかく映画を撮るのが夢であり生きがいでもあり、幸せなのだ。そんなエドも舞台劇が失敗して「僕には才能が無いのかな」と当初はやはり疑問を持ち始めているし、「プラン9〜」の撮影時には思い通りにいかず苦悩する場面もある。そこへ登場するのが何とビックリ、オーソン・ウェルズなのだ。

「夢のためなら戦え。他人の夢を撮ってどうなる?」

 無論こんな話は架空だが、エドがオーソンを憧れの人物として十二分に意識していたのは間違いない。このシーンは、ならばもし会えていたら、というティム・バートンの愛すら感じる。彼に会えたことで奮起したエドは撮影を再開、ついに彼自身が「最高傑作」と語る『プラン9・フロム・アウタースペース』が完成した。そして物語は、彼自身が「これだ!」と思えるものに辿りついたところで終わっている。もっとも現実のエド・ウッドはこの後、数本の映画や脚本を作ったところで映画から離れ、3流エロ小説やブルーフィルム製作まで落ちた挙句、酒に溺れる日々が続いていたそうである。ちなみに彼の遺骨は自然葬されたそうで、現存しないらしい。

 映画の中のエドが立派な「映画監督」だったかというと何ともいえないが、「人間」としてはトコトンまでに夢を追い続け、人生を映画制作にかけたあたりに好感が持てる。才能云々ではなく、とにかく「情熱」がある。「夢」がある。才能だけにこだわりすぎで自分を追い詰め何も出来ないよりは、ずっと良い生き方をしている。才能の有無で人生が決まるなど面白くない。「天才か無能か、成功するかしないかなんて、ほんの僅かな差でしかないんだ。」とバートン監督は言う。ほんの僅かな差で我々は日々一喜一憂していると思うと、馬鹿らしくはないだろうか。失敗しつつも次があるさと前へ進める情熱を忘れたくはない。誰だって面白いと、楽しいと思える人生にしたいはずなのだから。

 ……本作に触発されてエド・ウッドの映画を観た、という人も多いかもしれないが(自分もそのくちだが)、『プラン9〜』は本作よりも先に鑑賞していて、おかげでオープニングからいきなり笑ってしまった。登場人物にも驚いた。クリズウェルも、トー・ジョンソンも、ヴァンパイラも、そしてベラ・ルゴシもそっくり!まあ実際は特殊メイクだったのだが、とりわけルゴシの演技はしばらくハマリました。「Pull the Sting!」が思わず口に出てしまった人も、結構多いのではないかと思います。

 まあ、最低の映画監督だということで伝記映画が作られるなんて素晴らしい人ですよ。ある意味、凡百の監督や巨匠なんぞより魅力的、ということなんだから。

(評価:★4)

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