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[コメント] キング・コング(2005/ニュージーランド=米)

面白い映画だ。しかし本作のコングには何かが欠如している。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ……これだけ「面白い」と思わせてくれながらも、やたらと文句が言いたくなる映画なんて初めてだ。確かにこの映画、ジャクソン監督の『キング・コング』に対する思い入れが嫌というほど分かる。33年版の持っていた要素や設定を膨らませ、かつカットされた“クモガニ”の件まで入れるという懲りよう。とりわけコングがショーに連れてこられた場面では、オリジナル映画の音楽をオーケストラに演奏させていたりと、何度もニンマリとさせられた……が、なぜか合点が行かないのである。今まで“限りなく惜しい映画”に対し「★4に近い★3」という表現をしたことはあるが、「★3に近い★4」なんてのは始めてかもしれない。

 本作でも33年版でもコングとドリスコルという二人の「男」が、アンという一人の「女」を求めて戦うという設定に変わりは無い(76年版にはそれすら感じられないのだからこの時点でダメだと分かる)。しかし33年版においては、二人の男が意味していたものはそれぞれ違っていた。本当ならばこれは『キング・コング』のコメントで書くべきだが、この場で説明するためにあえて書かせてもらうと、コングを動かしていたのは「本能」で、ドリスコルの場合は「恋愛感情」なのだ。

 33年版のコングは確かに美女を求めていたが、それは“男が女を欲する”という本能であり、恋愛感情とは程遠いものに見えた。コングはアンに対しては優しい仕草を見せていたが、それは美女を前にしてご満悦という方に近そうだ。ましてやコングは、誰からも邪魔されないような断崖絶壁の上で、嫌がるアンの服を脱がそうとしている。この行為を“本能”と呼ぶのは短絡的かもしれないが、少なくとも“恋愛感情”ではないと言い切れる。そんなコングの前に“食欲”を満たそうとしてやって来た恐竜達が出現し激闘を繰り広げるが、ここでのコングは「アンを守ってやる!」というよりも「俺の女に手を出すな!」という印象を受ける。最終的にコングは全ての恐竜を撃退してしまうが、当然だ。人間でも動物でも女がかかると強いし、ましてや性欲と食欲なら……おっと失礼。

 それとは逆に、何度も危険な目に遭いながらも勇敢にアンの元を目指すドリスコルを動かしているのは、言うまでも無いが“恋愛感情”だ。アンを愛しているからこそ、彼はどんな場所にでも向かう。スカルアイランドでもそうだし、エンパイヤステートビルでも同じだ。何もそこまで、と思ってはいけない。アンを先にものにしたのはドリスコルの方なのだし、いちいち説明するのもなんだが、この場合は最愛の人の危機を救うことこそが“愛していること”の証明になるだろう。

 このように「本能」と「恋愛感情」がガチでぶつかり合うのが33年度版だと思う。コングがこの戦いに負けたのは、敵を目の前にして、島で見せた“手に入れた女に対する優しさ”を見せたがために油断し、結果として本能を貫けなかったからである。

 じゃあ本作はどうなのか? と言われたらこう言うしかない。「“本能”がどこにも無い!」

 ドリスコルはいいが、コングがはなっから恋愛感情を見せていて、いつの間にかアンもそれに応えるような形になったあたりから何とも嫌な予感はしていたが、それは的中した。コング捕獲をアンが止めようとしたり、コングの前に自らアンが現われるだけならまだ許せたが、一緒になって氷の上で滑るシーンを観たときはさすがにズッコけそうになった。こんなラブラブ状態のコングが観たかった訳ではないのに、なぜそうするんだ? おそらくジャクソン監督は33年版のコングを悲劇的に捉えていて、少しでもその想いを成就させてやろうとこんな場面を入れたと推測は出来る。しかしその割には、アンはコングがビルから落ちた後、助けに現われたドリスコルと熱い抱擁を交わしている。これではどんなに成就させようと、全ておじゃんだ。最後の台詞の引用「美女が野獣を殺したんだ」も、肝心の野獣がこれではどうにも浮いているのである。

 つまり本作は、作品世界そのものはより33年度版に近い存在でありながら、コングそのものに動物的な本能が感じられないという実に変な映画なのだ。面白さはピカ1でも、根底にあるものに共感出来ないという不可思議な思いを抱かせた時点で、オリジナルと同等の評価は下せなくなってしまった。監督本人が抱き続けた本作への(というか、コングへの)愛情はよく分かった。だがその愛情の中に「野獣と呼ばれてはいるが本当はそうじゃなかったんだ」という想いがあったとすれば、それは同情になってしまう。ただこの点を批判しようにも「現代的解釈」と言ってしまえばそれまでなのだが……。

 もう「野獣」が住む場所はスクリーンの中にすら無くなってしまったのか。それが悲しい。

(評価:★4)

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