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[コメント] 清作の妻(1965/日)

そう、ココは愛のない時代にアモール(愛の神)が住まう家。久々に観賞後、声を上げて大泣きする。
ボイス母

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







もう、ワシの話かと思ってビックリしたよ。 ソレくらい、主人公の行動の一つ一つが理解できて、シンパシーを感じた。

自分はタダ、愛する男と平和に暮らして、一生添い遂げて、子供でも出来ればそれでシアワセなのに。 それ以上のことはナニも望んでいないのに、時代が二人を引き裂く。

「ナンデ、アタシが居るだけの人生じゃ不足なの!?」「戦争で手柄を立てて模範兵であることに、ナンの意味があるの!?」「ただ、抱きしめて傍にいて!!」「殺し合いなんかに行かないで、五体満足なカラダでなくてもいいから、一生傍にいて!」「世界中を敵に回しても、アナタと一生添い遂げたい」

おカネの叫びはワシ(女性一般)の叫びである。 似たような映画に『執炎』があるが、コチラの方がより強烈。 日本人は「和を尊ぶあまり」に、ここまで周囲を捨ててまで恋に我が身を捧げる人は(滅多に)イナイ。 周囲が「ヤメトケ〜」と言えば、「あお、そうかな?」と二の足を踏む。 「そっちに行ったら帰ってこられなくなるぞ〜」と聞かされれば、「そ、そだよな」と引き返す。

そんなトコロにホントの恋の恍惚感はナイのに。

激しい個人と個人のぶつかり合い。 その価値観、その生き方、その存在の全てをかけてせめぎ合い、命を削り合ってお互いを捧げ合い尽くす、そこのところに真実の恋の恍惚は宿るのに。 マエストロ増村の作品は常にソコがよ〜〜く判ってらっしゃるので、観ているワシも大安心。 女を描いても、「お人形」ではなく、「性の道具」でもない、血の通った人間がソコにいるというこの安心感。 女性も安心して観てられます。

さて、この映画の肝は、実はおカネの親戚である、知的障害の男にある気がする。

彼は普段はニコニコとしゃべりもせずに軒先で楽しそうに暮らしている。 ボロをまとい、ボウボウのザンバラ髪で、板戸一枚へ立てて繰り返される清作とおカネの愛の行為を見守っている。 そして、二人に危機が訪れるや、彼は立ち上がり大奮闘して助太刀までやってのけるのだが、村の男や警察からボテボテにやられてしまう。

ソレは何故か? 彼は「アモール(愛の神)」の化身だからである。 この戦争という時代、真実の愛に人が生きにくくなっている時代に、彼が活躍し、愛の矢を放つ場面はヤッテは来ないのだ。 人の心に愛がなければアモールに勝利は訪れない。 人の心が荒廃し、戦争に行く若者に向かって、堂々と「死んでこい!」などと言う言葉を励ましの言葉として平然と言い放つ時代はアモールにとって生きにくい時代なのだ。

アモールは西洋美術に置いては常に、赤ん坊の姿で、「恋は盲目」を表すために目隠しの姿で表されている。 だからこそ、この男は丸々と太り、笑顔をたたえているし、清作は盲目にならねばならない。 愛の真実を求め、勝利するモノは、その為に盲目であらねばならないのだ。

事実、ラスト、清作は真実の愛を知る。 視力を失い、考え抜き悩んだ末に自分を盲目にした妻を許し、愛を受け入れる。 二人は再び手を取り合って生きる決意を固める。 たとえ誰も理解してくれなくとも、世界中が敵であろうとも。 もう、二人に迷いはなく、確かな日常の繰り返しが始まる。 二人の人生は始まったばかりだ。 大丈夫。軒先にはちゃんと「アモール」が居てくれている。

(評価:★5)

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