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[コメント] インファナル・アフェアIII 終極無間(2003/香港=中国)

ただ一人、冥府魔道を行くラウ刑事の行く末は、現代人の抱える普遍的なテーマと重なるか?
ボイス母

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ある意味、ホラー映画ですな、コレ。 ラウ刑事が分裂して、「善人でありたい」と願うばかりにヤンと同一化してしまうシーンとか。かなり怖い。 自分を否定するあまり、自分が消えて居なくなる。 本当はエリートで善人だった警官を、「悪い自分」として「倒すべき敵」として脳内で勝手に転換してしまう。この恐ろしい主人公の心の闇。 でも、コレって「よくある話し」「普遍性のある話し」に感じてしまうのは何故だろう? 「自分がいや」「自分が嫌い」 だったら敵は何処に居るのか?となれば、それは自分自身にほかならないのだが、その刃はなかなか自分には向けづらいものなあ。 「生来の悪人であるラウ」(それは前作「無間序曲」での若き日のラウの黒さを見ていれば判る筈)がもがき苦しむ。 変える事が出来ない自分に悶え、のたうち回る。 もしかしたらコレは現代人にとっても普遍のテーマなんじゃなかろうか?

「蛇足」とか色々ヒドイ言われようですが、コレはコレで好きです>ワシ。 死人と会話するシーンとか、「欧米人には撮れない感覚だな」と思う。 仏教的というか、「日常の果てにあの世も地獄も等しくある」という感覚が、とてもなじみ深いものに感じた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)peaceful*evening TOMIMORI[*] sawa:38[*]

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