[コメント] フィッシャー・キング(1991/米)
まさかの時にはスペイン宗教裁判。
困った時にはこの理論ったときはこの理論を使えと、
昔教わった必殺技、「中心と周縁」(Center and Periphery)。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
舞台は世界の中心、NY。 ヤッピーとホームレスの混在する街。
セントラル・パークにて。 広大な公園の敷地で、真っ裸になり夜空を見上げる、ホームレス。
セントラル・ステーションにて。 忙しく行き交う人の流れ。 壁際で物乞いをするホームレスが哲学を語る。(トム・ウェイツ!?) 別のホームレスの目に映るのは彼女だけ。 魔法のかかったような1分間、人の流れが緩やかにダンスを始める。
ごみの山の騎士。 非在の王。 彼の飲みかけのコップに無造作に投げ入れられるコイン。
このとき、彼ら=ホームレスの意識が中心として私たちの前に投げ出される。 ごくごく自然に、NYの片隅が、世界の中心となる。
「くずの中にも素敵なものが」と彼はいう。
不幸な事件で結びついたジャックとパリーの関係だが、 この物語での「聖杯」は、一方的に与えるものではなく、 互いに「相手の乾きを癒しあう」点ですぐれていると思う。
聖杯と対になる「ロンギヌスの槍」。 キリストを傷つけることで流れ出した血は、その者の病んだ目を癒す。
※書きかけです。今後も補足・改稿します。
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