[コメント] ポケットモンスター 結晶塔の帝王(2000/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
↑の台詞は松本大洋の漫画「花男」の名言。
…
「おまえが信じてくれたなら、パパはなんだってして上げられる」
一番の見せ場。ぞくっと来た。ちょっとだけど。
けどこちらでは、外界に導く役が、現実の人間ではなく幻影ってのが…。 …なんともファンタジーだなー。 いや、自分自身の力。自分で解決したと取れば、彼女(ミー)の方が強いのか。
以下「比喩として」の表現解釈
■ 好き勝手に思いこんでしまった子供。
彼女を導くには、彼女の理解出来る言葉を使い、彼女自身の心へ訴えかけねばならない。
現実と事実と力で論理的に強引にねじ伏せても、自分の思いこみと心中させかねない。 多くのSF作品の論調や超常現象否定論者の説教は、これにあたる。子供へ 社会との間の 好ましい関係を形成させるのに 役立つとは限らない。
だからといって、子どもに論理が通用しない とは言わない。 しかし、その論理を組み立てるにしても、この素材は、彼女の中にある物を用いて 作らなければならない。というわけだ。
■ ひたすら空想の相手(バトル)をするサトシ達。
空想物と戦って勝とうとするなんて、理屈としてというか、現実的に無理だ。 空想物は体力も無尽蔵であり、硬度も、攻撃力も自由自在。というか、 そもそも実体が無いのだから、暖簾に腕押し、糠に釘。 要するにサトシの一人相撲である。
サトシ達の演じていたバトルとは何か。
思い込みを絶対視している子供へ「思いこみが」迷惑をかけている事を感情に 訴えかける行為だ。 いち早く感じ取って対処を始めたのはタケシであって、さすが大人だな…として 描かれている。設定でもタケシは子沢山家族の長男で、弟妹の世話をダメ親父に代わり 行っていた。妹のあしらい方を十分心得ている。といったところだ。 カスミもサトシも、タケシの模倣であって、彼らがその心理を理解してその行動を 取ったと解釈れないようにもしているのはさすがだ。 (主人公の的除けな配置が映画の定番とはいえ)
自分の思い通りになる世界。
思い通りにつきあってくれるみんな。子供特有の王様状態。 自らの我が儘な行為を肯定されるべきものと考えるに至るのは、被害者意識に似た心の釣り合いをとる…バランス行為。
でも、それくらい望んでも良いじゃないか?! 小さな女の子であり。両親との別離もある。同情の余地がある。だから、彼女の想像にひたすらつきあい、その 想像物と闘ってみせる。存在しない物を、そこにある物として、振る舞い。それを肯定することによって、苦悶してみせる。
個人の利己的な思いこみが、まわりを振り回し、どれだけ傷つけてしまうか。
それを彼女の自身の前で演じてみせることによって、初めて彼女の感情の中の、加害者と被害者が逆転する。
加害者意識の芽生え。罪悪感‥。
周りの苦悶に耐えられなくなった時、その心を守るため、自分の心の側に 自らで改変を加えざるを得なくなる。やはり自らの心を癒すため。 求める物だけがある世界が幸せである‥というテーゼ。 干渉してくる他者を完全に排除出来ない‥というアンチテーゼ。
そしてジンテーゼへ。
■「外に出る‥」
作中、アンノーンの暴走として語られていたもの。それは、彼女の葛藤。理性的には決断できても、感情が理解できない。そんな彼女自身の 理性と感情との対立‥として観ることが出来る。 相対する二つの感情のぶつかり合い。不安と希望のぶつかり合い。
「外に出る」と口にした段階では、ジンテーゼには至っていない。アンチテーゼの段階だ。 つまり一番に求めているもの‥パパ(エンテイ) = テーゼ‥を、捨てる=否定するという行為でもある。求める物を消失する‥という側面が残っている。自らを守ってくれている存在の喪失。その不安。そんな感情の反乱が、暴走という形で現れている。
しかし、アンチテーゼはすでに起ってしまった。
■矛盾を越えて‥
ここで再びエンテイ(パパ)が登場する。
外の世界という希望を手に入れるのに、エンテイ(パパ)の力を借りる。 テーゼとアンチテーゼが融合・両立する状態。 他者排除の為の存在が、外向的行為の後押しをする存在へと入れ替わっている。 それで納得できる状態に至っている。
空想を空想として自覚しつつ、全否定するわけでもなく、自分にとって都合のよい…、 情操の…、感情コントロールの道具として使いこなしている。
■ ■ ■
■雑記
「他人に迷惑をかけている訳じゃないでしょ」
‥よく聴く無法者の自己弁護だ。
しかし、その態度は確実に他人に迷惑をかけている。 それを成立させている状態が、結晶塔に象徴されている。
時代にあわせたテーマだとした評価を当てはめる事も、それほど的外れではない。
■ごにゃごにゃ書いたけれど‥
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