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[コメント] ノスタルジア(1983/伊)

郷愁/信仰、故郷/神、帰郷/死。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この作品の少なくとも根幹を成すテーマはひとつでしかない。

郷愁(Nostalghia)と信仰(fido)の対称。

(以下、まとまっていないので断章)

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アンドレイは故郷を、ドメニコは神(聖カテリーナ)を…。

聖カテリーナはドメニコに言った。「あなたが存在するのではない。私があなたの代わりに存在するのです」。ドメニコの存在は、神によって与えられている、あるいは神のものである。したがって、〈神のために〉存在する。家族を救うためではなく、世界を救うために。

他方、アンドレイは、自らの存在がロシアによって与えられていることに気づく。そして同時に、サスノフスキーがそのことを知っていたからこそ、ロシアに還ったことに気づく、たとえアルコールにおぼれ、自殺する結果になろうとも。サスノフスキーの音楽家としての実存はロシアにあり、アンドレイのそれもロシアにある(そしてタルコフスキーもまた)。

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アンドレイはエウジェニアに尋ねる。「fidoってどういう意味だ」「信仰よ」。我々に対するタルコフスキーの目配せ。

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信仰において聖テレサが神との合一を夢想するように、アンドレイは故郷を憧憬する。

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エウジェニアは怒鳴る。「自由はここにあるのよ」。しかしロシア人のアンドレイにとって、ロシアを離れては自由はない。イタリアには彼は〈存在しない〉のである。自身の実存を欠いたところに自由があるだろうか。たとえ政治的束縛が無くとも。

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アンドレイの病について。アンドレイとエウジェニアとの電話での会話。「体は大丈夫なの」「いやあまり調子が良くない」。死の予感。

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アンドレイは浴場を渡りきり、蝋燭を立てたところで倒れる。そして、彼は巨大な聖堂の中にある故郷の土地にいる。聖堂(すなわち神)と故郷が、死によって結ばれる。彼は死によって神のもとへ召されると同時に故郷に帰る。

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とりあえず以上。 fidoはfedeかも、いずれにせよbelieveではなくfaithのことだと思う。

あとはDVDでも観て、補足していきます。

でも、この対比を頭に入れて観れば、ストーリーは追えると思います。

(評価:★4)

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