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[コメント] 人狼 JIN-ROH(1999/日)

青年から見た『狼の血族』。何故に今、この物語り? 語る意志の希薄さは、つまるところ何も生み出せないのではないか。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







監督の沖浦啓之氏は作画マン上がりの若きベテランで、『攻殻機動隊』では作画監督をつとめていたのだそうだ。氏はこの映画でキャラクターに細やかな芝居をさせたかったのだそうで、なるほどその意図は十分にカタチになっていると思う。人物達の息遣いの感じ取れるような繊細な表情やそれとない小さな仕種、エロティシズムの滲む身体の描出は、アニメーションに過ぎないのに充溢した情緒的な時間を感受させてくれる。くわえて言えば、架空の昭和30年代の雰囲気作りもかなり手の込んだもので、よく出来ている。

だが、敢えて言えば、やはりそれらは本来虚構を影で担う職人技とでも言うべきものであって、それ自体が志向されるべきものではないのではなかろうか。職人的な意図でのみ虚構された語る意志の希薄な物語には、何らかの現在的な物語りを待望する観客のスペクタクルへの欲望に応えるものが欠如しているように思われる。この映画に何かが足らないと感じられるとすれば、それは物語りへの欺瞞のない欲求ではなかろうか。実写映画と違って不確定要素がほとんどないアニメーションの場合、作り手に何某かの“作家的”資質がないと、職人的な技巧性から跳出し得ないのかもしれない。尤もこの映画がそう見えてしまうのは、押井守の趣味世界を請負っているからこその当然の限界なのかもしれないけれど。

オシイ氏は、どういうつもりでこの物語を書き下ろしたのだろうか。一体こうした物語をオシイ氏は本当に物語りたいと欲していたのだろうか(*)。このひとはつねにクリティックな視座で虚構を物語ってきたけれど、その柱にはいつも男女のメロドラマがあった。だがこの映画からはどうも本音としてのそれを聴き取ることが出来ない。伏が少女を殺す結末は在り来たりに「美しい」とは言えるかもしれないが、そう描かなくてはならない現在的な根拠はない。組織に依存しなければ存立し得ない個人など、時代錯誤なメロドラマの為の装置としては機能しても、現在の物語りとしての説得力はまるでない。そこに物語ることへの切迫性は感じられない。それとも、これまでオシイ氏の映画(夢)を外から見詰めていた少女を殺すことは、氏の映画に次につながる何かを与えることになるのだろうか。

*)後から見聞したところによると、頼まれ仕事だからこういうハナシにしたのらしい。

(評価:★3)

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