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[コメント] E.T.(1982/米)

手と手で通じ合う〜♪のは、友情?愛情? 何はともあれ"I love you"。郊外住宅地を縦横無尽に走り回る自転車。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







26歳にして初、《20周年記念特別版》を観た。 映画の冒頭でテーブルトークR.P.Gらしきものに子供達が興じているのは、日常からE.T.と友情を結ぶファンタジー物語へ、主人公の子供達と観客のイマジネーションを無理なく敷衍するためのものなのだと思う。映画のはじめの方では、子供達がしきりにE.T.のことを「ガバリン」と言っている(日本語字幕では「怪獣」)。テーブルトークR.P.G(言葉による空想世界でのごっこ遊び)は、アメリカでは一時期一大ブームになったらしい。

未知の存在(恐怖の対象)と初めてコンタクトする時にモノを言うのが“手”。言葉を介さなくとも、態度の示し方でコミュニケーションができそうなことを少年も観客も見て取ることができる。拾い集めたマーブルチョコレートの手渡しにはじまり、触れ合う指先と指先によって絆をたしかめることで幕を閉じる物語。あまりにも分かり易い手(指)と手(指)の絆。分かり易いのがよかったのかもしれない。E.T.の、あのしわがれているように見える細長い指、また老人のような小児のようなどっちつかずの風貌とキャラクターは、グロテスクにも「可愛い」にもなりきらない独得微妙なデザインで優れものだったのかもしれない。(河原で白くなって転がっている様はやっぱり気持ち悪いけど。)

妙に面白いのは家にいるE.T.と学校にいる少年がシンクロする場面。E.T.が見ているテレビの映像と少年の行動がカットバックで重ね合わされることで、両者がそのままシンクロ(同時化)している(らしい)ことが示される。何がシンクロしているのかはわからない。多分そこでシンクロしてしまっている(ように見える)ものは「こころ」と呼んでもいいし、「タマシイ」と呼んでもかまわない。とにかくそれは言葉を介することなくシンクロした(してしまった)ということだけが示される。理屈もへったくれもない。しちまったものはしちまったのだ、という強引さ。でもそれで納得させられてしまう。

舞台になるのは郊外住宅地。親の建てた一戸建てに住む中産階級のガキどもはゲームに興じながらコカ・コーラを呷り、ポテトチップスを頬張り、しまいにはピザの出前まで。さすがアメリカ。(さすがにピザの出前はママにあきれられたみたいだが。)今とさほど変わらぬ80年代初頭のアメリカン・さばーびあんの生活。父親不在の家庭。まだ若くてきれいな母親。束の間小鬼や幽霊たちが闊歩するハロウィンの夜。住宅醸成用の空き地や建て掛けの家が立ち並ぶ風景の中をマウンテンバイクで疾走するガキども(*1)。…覚えがある。覚えがあるよ、こんな毎日。おれもこんな毎日の中で生きてたよ。(*2)

映画は、子供の視点による未知の存在との遭遇から、やがて別れを見守り見届ける大人(かつての子供)の視点を背景にした終幕に至る。あの子供に理解のありそうなNASAの科学者のおっさんは、少年の新しい父親になったりするのだろうか(笑)。

1)クライマックスで空に駆けあがる自転車の図には前ふりがあるけれども、その挿入の仕方はかなり強引。物語上の必然性なんてほとんど意に介さないような、その強引さこそがむしろ素敵なのかもしれない(それ故に共感を呼ぶ?)。

2)これが裏を返せばアメリカ製B級ホラーの舞台になるわけね。

(評価:★4)

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