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[コメント] おもひでぽろぽろ(1991/日)

置き去りにされた自意識。〔3.5〕

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







それは「都市と農村」なんていう主題の映画ではない。

今井美樹が声をあてるヒロインの女性は、東京生まれの東京育ち、田舎なんてもとより知らない。その女性が山形で援農アルバイトするなかで、東京での子供時代を思い出しながら自分を探そうとするが、結局それを確信をもって見出すことはできない。

ラスト。青年のもとへ引き返そうとする彼女、その背中を後押しするかのように湧いて出てくる小学校時代の同級生。だが彼らは勿論のこと現実には彼女と同年代の若者として生きていて、現在の彼女とは何の関係もない。むしろ本当は彼女でさえ、小学校時代の同級生など顔すらも憶えていない子が大半なのではないだろうか。語られるところの彼女の少女時代は、幾分ナルシスティック(*)にも響くかもしれない自分についての語り、それもまわりの人間との拭い去れない微かな違和感の記憶についての語りであって、同級生達はそんな自意識の物語の登場人物でしかない。そんな彼らが、何故人生の一大決断かもしれない瞬間に彼女の背中を後押しなどするのか。それはつまり、彼女には理由がないからだ。彼女をしっかりと後押しする信じられる「おもひで」、つまり見出されるべき確かな「ワタシ」など、本当は何処にも無かったからだ。微かな違和感の記憶と根無草的な自意識だけが現在の彼女を彼女足らしめているものであって、それ以外に現在の自分が何処かに向かうべき理由を与えてくれる確かな「ワタシ」など何処にも無かったからだ。

彼女が青年と再会して歩く時、同級生達がその背後に掲げる相合傘の痛ましさ。彼女が青年と去った後、子供時代の割り切れなかった自分は寂しい表情で暗闇に置き去りにされる。彼女にとっては何があるわけでもないだろう東京での生活に帰ってしまうよりも、そこで自分の人生に(たとえそれを根っから信じることなど出来なくても)カタチだけの決断を下してしまうその姿はとても(心情的に)リアルなものだと思える。彼女は何を見出せたわけでもない。実感を抱けない、本当には確信が出来ない自分を見限り、人生の区切りをつけたに過ぎない。山形の狭苦しい田園風景に東欧の民族音楽のイメージが重ね合わされていくように、彼女の結婚もイメージの助けがあってやっと決断できる程度のことなのかもしれない。

都はるみが「死ぬのを怖れて生きることが出来ない」と唄う主題歌は、まさに主題歌だ。生きる為のしっかりした根を張れない人間の、果たされなかった自分探し。これは成長らしい成長を(ひとが本当に「成長」なんてするのかどうかは疑問だが)遂げることのできなかった、救われなかった自意識の映画だと思う。

*)幾分ナルシスティックに聞こえる彼女の感傷的な語りは、けれどもむしろ確かな手応えを模索する自意識の言葉だと思われる。生きている世界の手応えを当たり前にしっかりと抱けないからこそ、ことさら饒舌な言葉でそれを模索する。それは彼女が東京生まれの東京育ちという出生や、また家庭の中の秘められた疎外意識の故でもあるだろう。それらは本来ならば他人に吐露するまでもない小さな違和感の記憶、自意識のちょっとしたひずみに過ぎない。それがトラウマというはっきりした物語の(ネガティブなものにせよ)礎になってくれるようなものであるなら、これはもっと気色の違った映画になる。

(評価:★3)

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