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★3名探偵ホームズ劇場版 ミセス・ハドソン人質事件/ドーバー海峡の大空中戦!(1986/日=伊)これもやっぱりサイレントスラップスティックコメディに連なる作品と見てよいと思われる(とくに「ドーバー海峡の大空中戦」は)。アクションのつるべ打ち。[投票(1)]
★3恋人たち(2015/日)乞う人たち。不在の相手に向かって、あるいは相手の不在に向かって。橋口亮輔の描く人物たちは、人間の皮を被った人間ならぬ何者かの如き、しかしその故にこそ寧ろ確かに人間であるような人物たちに見える。敢えて言うなら、「臭い」人たち。生活世界の底辺に広がる水路の水面は、そこから見あげられる空の水色と確かに通じている。イメージのモチーフで現実をくるんで見せる、やはり映画。[投票(1)]
★4ブロンド少女は過激に美しく(2009/ポルトガル=スペイン=仏)画面の中の画面の様な「窓」という縁取の枠組が、男女二人を結びつけたと言ってもいい。窓は四角形に視界をきりとることで、きりとられた対象を一個の肖像として仕立てる。画面の中で全ては生起する(全てを描写する)というサイレント映画的モラル。リカルド・トレパの少女を見初めた瞬間の正に「見初めた」表情。[投票(1)]
★4ブラインド・マッサージ(2014/中国=仏)盲人と盲人が同室に同居していても、それをさえ敢えて空間として捉えようともしない画面。密接近写は映画を映画でなくすようにも見えて、むしろ映画が映画であることの無自覚な同一性への信心をこそ穿つ。絶えず開かれていた盲人の若者の瞼の閉じられるとき、その目はむしろ目の前のものに開かれている。(微笑み返し。)[投票(1)]
★3ザ・コンサルタント(2016/米)いわゆる「高機能自閉症」なる障害による特性が、ユニークな個性として描かれて、それはプロフェッショナリズムと近似して見える。そこに似て非なるものがあるとせば、情緒的な独善性があるかないかかも知れず。主人公はアメリカ的モラル(家族第一)のもとに黒幕の言い分を一顧だにしないが、そのことの独善性に自覚はない。よくも悪しくも子供の儘大人を生きる主人公。泣けるけど。[投票(1)]
★3生きてるものはいないのか(2011/日)その思い切りの清々しさ。 [review][投票(1)]
★3剣(1964/日)「正しい」「微笑」「勝つ」「負ける」などの語句がそのまま画面に刻印されているかの如き映画。わかったんだかわからなかったんだかよくわからないまま無理くり強引に「完」。[投票(1)]
★3わたしはロランス(2012/カナダ=仏)グザヴィエ・ドランが本当に興味があるのは、たぶん映画というよりは物語であり人間。それでいけないということは取り敢えずないけども…。 [review][投票(1)]
★3学生ロマンス 若き日(1929/日)仲のよさげな学生二人が一旦半ば仲違しかける。いじけた感じの斎藤達雄の表情と身振り手振りの如何にも中途半端ななげやりぶり。ツボは押さえていてもけっしてはじけないギャグ。スキー場の丘や斜面のカット。学生達の踊る場面のなんとも言えない長閑なリズム。[投票(1)]
★4悪魔の陽の下に(1987/仏)映画と宗教はじつは相性がいいのじゃないか。実在定かならぬ本質、仮象の狭間に動揺する実存、偶然が必然に転化する瞬間(まさに瞬間)の「奇跡」性への全託、というあり方に於いてそれは相似する。朝か夕かも判然としない青い光、一瞬だけ目をむく少年、場を切り裂く女の叫び。カットの変わる瞬間が不穏(不安定)な映画はいい。[投票(1)]
★3フライトプラン(2005/米)旅客飛行機の中は案外ひろい。限定され、かつ区画された空間をきちんと活かしてサスペンスを造る。ネタ振りの前半部も微妙なリードとミスリードを画面にきちんと示す。何気に、密室化された人間集団の動向を左右する「空気」の不穏、その社会学映画でもある。ここまで律儀にもりこんで実質90分。面白かった。〔3.5〕[投票(1)]
★2東京公園(2011/日)一人二役井川遥を即座に瓜二つと断定しない、倒錯的なまでの無感ぶり。その逃避的な歪さゆえに物語はいつまでたっても始まらない。唯一艶めく場面でも、やはり主人公の顔は見えないまま。ぜんぜん正面切ってない。わからない。風の揺れ、海の白波、などはなんとなくのこった。[投票(1)]
★3マリー・アントワネットに別れをつげて(2012/仏=スペイン)王妃の朗読係の肩越しに垣間見られる裏面史。遠くから響いてくる地鳴りの如きものとしての革命、歴史。明言出来ぬ自身の心の言葉を受け身の口づけを通して聞く。レア・セイドゥーの両の眼はいつも低温で、見つめる目であると同時に見つめられ(う)る目でもある。〔3.5〕[投票(1)]
★4元禄忠臣蔵・後編(1942/日)何気なく台詞を語る役者から他の台詞を語る役者へと橋渡し的にパンする画面、その狭間にはとくに何も映すべきものも映っていないが、極論としてはそこにこそ映画があるような感覚もしてしまう。ファントム・ライド的表象とは似て非なる、物語や世界の実在性を担保するモノ。[投票(1)]
★4元禄忠臣蔵・前編(1941/日)映画の画面にも天と地、手前と奥行き、上手と下手といった演出的な空間性があるということは、たんに約束事としてだけでなく、それが重力の束縛を受けた人間達や事物を被写体にしているという現実にこそ基礎を置いていたのかも知れない、なんて思わされる画面が続く。[投票(1)]
★4永遠の語らい(2003/ポルトガル=仏=伊)子供の時分、夏休みに田舎の親の実家で遠くから響いてくる蝉しぐれにでも耳を傾けているかの如き、そんな時間が流れる。陰り、霞がかった空と海と街。画面に歴史が映っている。波間にしっかり揺れている客船。幕切れには、現実としての惨劇というより、映画としての痛快さを見てしまった。[投票(1)]
★4東京物語(1953/日)同じ様なショット、同じ様なシーン、同じ様なセリフ、その反復。しかし「反復」は同一的ではあっても同一そのものではない。飽くまで同一“的”でしかないからこそ逆に差異が焦点化される。日常の(物語の)原理が作品の形そのものとして実現される。現在(生=同一性)のさ中にあっての過去(死=差異)の存在が、画面に暗い影を落とし続ける映画。[投票(1)]
★3忠次旅日記(1927/日)三部作全体でもなく、また復元されたといってもやはり原版そのままでもあり得ず、故に☆3。随所にハッとするようなシーンやショットがある(とくに女優陣に)。また字幕とアクションをリズムよく繋いだカッティングにも心が躍る。[投票(1)]
★3WALL・E ウォーリー(2008/米)CG映画は相変わらずかつての遺産を“反復”することしかできないんじゃないか、という疑念。御都合主義的心理化としての擬人化。人間のドラマの模倣によってしか絆を確認出来ないロボットが描かれるのは、その観客が人間でしかないからだ。そして辿り着くのは新しき「植民地」。 [review][投票(1)]
★3タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密(2011/米)実写ならば驚異を覚えただろうが、CGアニメでは単なるパノラマアイデア図解に見える。つまり予定調和の内部に作品世界が収束している。何が決定的に欠けているのかと問うのなら、恐らくそれは、実写ならば瞬間と瞬間の狭間に垣間見える筈のアクションの断続性であり、つまりは静(0)から動(1)への飛躍・跳躍。[投票(1)]