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★3罵詈雑言(1996/日)秘匿された原発事故とそれにからむひとりの青年の死の真相を、監督の突撃取材と再現ドラマで追求していく映画。 [review][投票(3)]
★4桂子ですけど(1995/日)ミニマルに、軽やかに、けれどしっかりと歩み出していく桂子の(映画の)足取。[投票(3)]
★3サスペリアPART2(1975/伊)ばらまかれた断片に、美意識。[投票(3)]
★3男性・女性(1966/仏)真っ当な青春映画。〔3.5〕 [review][投票(3)]
★4ロボコップ(1987/米)傑作だと思う("ケッサク"ではない)。グロでマヌケな暴力の果てのセリフは、一縷の希望? [review][投票(3)]
★4さすらいの二人(1975/仏=伊=スペイン)まるで己が霊魂になっちまったかのようなキャメラ。[投票(3)]
★3櫻の園(1990/日)むせかえるように、春。[投票(3)]
★4ちょっと思い出しただけ(2021/日)「思い出す=想起する」というイメージ受容のありようは、映画の本質の全部ではないにせよ、大きな部分を担っているんじゃないか。序盤、池松壮亮を見つけた伊藤沙莉、その数瞬の表情の微妙を捉えるショットが的確で、“その後”の「過去」の挿話の印象が何度もそのイメージに再帰する。そんな映画という媒体の本来的な無時間性を担保とすることで、「ちょっと思い出しただけ」という軽味のふっ切れた様な妙味も生きる。[投票(2)]
★4バニシング・ポイント(1971/米)バリー・ニューマン演じるコワルスキーの、基本優しげで、あるいは時に逡巡や当惑さえ浮かぶ様にも見える眼差しの微妙さは、社会的、時代的な文脈による解釈からも捕捉され切らない微妙さで、何処かへ彷徨い出てしまう様に想える。それは既にして走り出していて、あとはただ走り続ける他もない。ワンアイデアで突っ走る作劇は、映画の物語自体を寓意的な中空へと曖昧に放逐してしまう。[投票(2)]
★5EUREKA(2000/日)言語を介さない中での、あくまでもささやかな覚束ないアクションによるコミュニケーションを丹念に描き続ける。劇中のその人がそのまま役者その人に見えて来る様な(しかしこの逆ではない)掛け替えのなさを生きている。ゲホンゴホンと厳しさを増していくノイズは呪いの様に響き続けるけれども、それでも時間と空間は、目に見えて生きられた世界に回帰する。そこに立つのが女性なのは、これが男性の映画だからで、それだけのこと。[投票(2)]
★3さかなのこ(2022/日)よい意味で、昼日中の休み時間の様な、浪漫的で牧歌的な空気をまとう、のん推しではないけどやっぱりのんならではの映画。「男か女かはどうでもいい」。本当は、誰もがそうだったのかも知れない、本質的な意味での「子供」。走る子供達の姿には、『トリュフォーの思春期』の冒頭を想起した。[3.5] [review][投票(2)]
★4シン・ウルトラマン(2022/日)太陽は50億年後に膨張して、地球はその膨張に呑み込まれて消滅する。 [review][投票(2)]
★4偶然と想像(2021/日)演劇ワークショップ三様…みたいな。 [review][投票(2)]
★3火口のふたり(2019/日)「ふたり」である。“ふたりだけ”の映画なのにそこに逼塞を覚えないのは、演者の明朗もあろうが、むしろ「行間を読ませる」よりは行そのものを直截に読ませるような奇妙なダイアログの即物性にあるのではないか。下世話なまで社会的、時代的に阿る台詞も“ふたりだけ”の間に浮き彫りになることで「イメージ」としての即物性を帯びる。「火口」の小噺の一躍の飛躍も共に「イメージ」としての通底性あらばこそ。〔3.5〕[投票(2)]
★3SUNNY 強い気持ち・強い愛(2018/日)一見タイプキャスト的なキャスティング間に、それでも同一的な繋がりが見えてくるのはなんの巧妙か。コギャル連の泣き笑いの率直な表出が、その生態あれこれを単に時代風俗としてでなく映画内アイコンとして息づかせ、見る者の素朴なシンパシーを喚起する。あられもなき池田エライザのつかいかたの、つくりものめいたいかがわしさにこそ、映画演出本来の絶妙、奇妙がある。否応ない物的露呈こそが“感動”を印象に刻印する。[投票(2)]
★4トップガン(1986/米)物語は定型の紋切型でも、こまやかな描写=演出は卒なくしかし確かに映画を映画に仕立てあげるかに見える。僚友の死に際し、相貌を飽くまで鏡越に捉えるに留まる構図、激励を飽くまで逆接として語るに留める台詞、そのさりげない節度。青年の「帰還」と「帰属」の物語としての細部と挿話の反復的な配置。空中戦はさすがに錯綜的だが、見分けのつくかぎり筋書も見て取れる。素直に面白い。[投票(2)]
★3blank13(2017/日)小品的な小品、つまり自己完結的。「ブランク」の露呈が三文即興劇的に終始する様子はけっして映画自体の印象を攪拌することもなく、言わば70分の尺のその又半分だけの内実しかないが、そこにはたしかに美点もある。松岡茉優のごくありきたりな「受胎告知」の場面に、ふと「聖なる瞬間」なんていうフレーズが浮かんだ。「人生」の機微はそんな「聖なる瞬間」の密やかな積み重ねにこそあるのだと。[投票(2)]
★4絞殺魔(1968/米)煩瑣な分割画面の前半から意識の遠のいていくようなホワイト・アウトの終幕に至る演出的なグラデーション。後半の白い尋問室にはあきらかに演出的に「何も無い」。そして正気を辛うじて保っていた人間がそれを遂に喪失する瞬間を画面に刻み込む微スロー。演出手法が着実的確に運用されるという意味で堅実にハイレベル。[投票(2)]
★4コントラクト・キラー(1990/フィンランド=スウェーデン)ジャン・ピエール・レオーありきの映画。画面の端でごく何気なく当然のように、しかし唐突に後ろ足でドア蹴とばして閉めるとか、この人しか出来ない芸当。そしてそれが可笑しい。プロットも出色で、どこまでも深刻になりきれないアンチサイコロジカルなレオーがカウリスマキの世界に絶妙にフィットして、隙だらけの様が隙なく完璧。[投票(2)]
★4ニースについて(1929/仏)開巻一番の大俯瞰ショットからして何故か視線をつかまれる。カット割は素早く展開するが、イメージの連鎖的なリズムを刻むように反復がなされ、同時にカット同士の反響がドキュメントとしての内実を担保する。見る欲望がそのまま撮る実践に至ったかのようなアマチュアリズム的幸福。[投票(2)]