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[コメント] アナと雪の女王(2013/米)

私の涙は、孤独をも自由だと高らかに歌ったエルサの魔法のせいです。
のぶれば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 映画館で予告編を観た時、雪と氷が美しくも険しい山でただ一人、意気揚々と歌う女王エルサに違和感を覚えました。英語音痴な私の耳に残った言葉は 寂しげな「I'm the Queen」、顔を上げた「Let it go」、そして高らかな「I’m free!」の三つ。そして、予告編は氷の扉が閉ざされて終わる。自由を謳いつつ、氷の城に閉じ籠もるエルサ…。違和感はそこに起因しています。ただ、その後の日常の生活の中ですっかりその違和感を忘れてしまっていました。けれど、ここ最近、車のラジオやコンビニのBGMなどでこの歌を幾度となく聞くに連れ、あの違和感が思い出され、気になって、遂に映画館へと足を運んだのでした。そして、もちろん迷うことなく、字幕版を選んで席に座る。英語音痴のくせにね。ま、字幕には慣れっこだし、いいかと。

 幼少のアナとエルサが無邪気に遊ぶ中で事故が起こり、二人は顔さえ合わすこともなくなっていきます。両親を亡くす悲しみ、一人ぼっちの寂しさに耐えるアナ、魔法が制御できず苦悩するエルサ…。この二人の対比が見事なのです。事故を忘れて何度も人懐っこくエルサのいる部屋にノックをし、声をかけ続けるアナ。アナの健気な明るさが全面に出る一方で、ただ黙ったまま座り、事故を悔い自身の魔法の力を恐るエルサ。そしてエルサの戴冠式を迎え、長い間閉じられたままだった城の扉が開かれます。その時、アナは出会いを期待し、エルサは魔法を知られることを恐れます。いつの間にか、二人は大きく違う立場になっていました。

 そして「Let it me」を歌うシーン。そこで初めてエルサの思いが歌われ、観衆に解き放たれます。それも、自分の境遇を恨むのでも、誰かを憎むのでもなく、自分の孤独を自由なのだと高らかに!それは、エルサの強さなのか弱さなのか、優しさなのか厳しさなのか。その姿を喜ぶべきか、悲しむべきか、その判断もつかぬ間に、歌は終わり、彼女は氷の城に閉じ籠もります…。

 気が付けば、涙が出てました。あれ?私は一体、何にこんなにも心を揺さぶられたのでしょう。

 真実の愛を問うたはずのこの作品で、「真実の愛」の真逆は、「偽りの愛」ではなく「孤独」なのだと教えられた気がします。現在、一人暮らしの私にとって、それは衝撃でした。私は、こんなにも真実の愛から遠く離れた場所にいるのではないか?そして、「これでいい」「かまわない」と思い込もうとしてはいないか?つまりは自分への憐み、それが涙の正体だったのかも知れません。

 (もっとも、ある人は、愛の反対を「無関心」だと言ったようですが、それはそれで、本質を突いているように思います。)

 ただ、エルサは孤独になりきれませんでした。意図せず傷つけてしまうことはあったにせよ、誰も傷つけたくないという愛を内包していたからだと思います。エルサを殺そうとした二人の男でさえ、ギリギリまで追い詰められこそしますが、殺されるシーンはありません。そして、ラストでは、エルサは孤独からも解放されます。

「真実の愛」を必要としていたのは、アナだったはずなのですが、彼女のエルサを救いたいという思いが、エルサを守り、守られたエルサがアナへの愛を取り戻したという形になりました。結果、アナの愛がエルサに伝わって、エルサの愛を呼び起こし、真実の愛としてアナに返される…。愛は、もしかしたら、通じ合うことで、真実の愛として機能するのかも知れません。

 でも、私にはまだ答えがわからないのです。伝わらない愛を持ち続けることと、孤独でいること、どちらが苦しく悲しいことなのでしょう?アナとエルサは共にそれを乗り越えたけれど…。私はまだしばらくは「Let it go」を聞く度、泣きそうになってしまいそうなので候。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ロープブレーク[*] fufu ぱーこ[*]

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