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[コメント] アイリッシュマン(2019/米)

マーティン・スコセッシ(77)が「一口に老人と言っても、60歳、70歳、80歳は違うんだ。全然違うんだよ」と言ってる映画。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







スコセッシはだいぶ前に見限っていて、最後に観たのは『ヒューゴの不思議な発明』(2011年)かな。あれはヒットガール・クロエちゃん目当てだったから、純粋には『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)が最後かもしれない。えらい昔だな。元々あまり観てない監督なんだけどね。

グッドフェローズ』とか『カジノ』とかって、こんな話じゃなかったっけ? 実はどっちも嫌いな映画なんでほとんど覚えていないのですが、この『アイリッシュマン』は嫌いじゃない。ま、も一回209分観るかって言われたら観ないけどね。

構成としては『レイジング・ブル』パターンだと思うのです。デ・ニーロが老けたり太ったり。 私が面白いと思ったのは、思いのほか「老後」の描写が長いんですよ。

この手の回想話って、普通は「老後=現在」という単一の時間なんですね。 回想の中で「少年時代」「青年時代」「壮年時代」「中年時代」などを(時に役者を変えながら)描き分ける。それが一般的。

ところがこの映画は、赤いちゃんちゃんこを着る年代から後期高齢者まで、老人を描き分けるのです。マーティン・スコセッシ77歳のなせる技。 若い監督なら老人という単一の「記号」でしか描けないでしょう。仮に我々中年男性が描写しようと思っても「女子高生という記号」でしか描けないのと同じです。だって、その生態を知らないから。 ついでに言うなら、歳をとると「怒りっぽくなる老人」と「好々爺」に分かれるんですよ。それをアル・パチーノとデ・ニーロで描き分けるんですよ(<そうか?)。

似た映画を例に挙げると、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は「過去」を描いた映画で、西部劇が死滅した時代にマカロニ・ウェスタン監督セルジオ・レオーネが「郷愁」として描いたのです。 一方、『ゴッドファーザー』シリーズは「今」を描いた物語でした。PART IIでドン・コルレオーネの若き日をデ・ニーロが演じる回想は、誰の想い出というわけではなく、アル・パチーノ演じるマイケルの「今」を際立たせるために存在していたのです。

そしてこの映画は、スコセッシが「未来」を描こうとしたのだと私は思っています。 老後の描写が長く、老人を描き分けることで、スコセッシは自分自身の「未来」に可能性を見出そうとしたように思えるのです。 『くじけないで』という映画で80歳過ぎの八千草薫が100歳の老け役をやったのと同じ理屈です(<そうか?)。

そして、スコセッシ老は「過去」を栄光や美学として描くのではなく、「お前が謝れ!」「お前が先に謝れ!」みたいな男どもの馬鹿馬鹿しいマウンティングと、そんな男社会(で生きる父)を白い眼で見る娘(女性)として扱ったのです。つまりそれは現代の、あるいはこれからの社会の在り方に対する「老婆心ながら」という示唆なのかもしれません。 いやまあ『レイジングブル』もDVダメ男だったけどね。

ただあれだな。似たような映画、特に『ゴッドファーザー』を思い出さないように努めてたのに、ラストの「ドア」シーンはもろパロディーじゃねーか。

(19.12.01 吉祥寺アップリンクにて鑑賞)

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)もがみがわ ぽんしゅう[*]

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