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[コメント] J・エドガー(2011/米)

人物伝の形を借りたアメリカ国家論
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







衰えを知らぬイーストウッド御大。むしろ、老いてますます盛ん。お前が注射か何か打ってんじゃねーの?マカか?セサミンか? ってくらい、毎年毎年野心的な良作を生み出してくる。これは凄いことですよ。 でね、こっちは毎作同じようなことを書いちゃうんだ。完全に御大に負けてる(笑)。

主人公J・エドガー・フーバーは、簡単に言ってしまえば(才能はあるが)コンプレックスと見栄っ張りの塊みたいな人間である。言い換えれば「恐怖心」と「虚栄心」。

これはアメリカという国家そのものの姿だ。アメリカ病と言ってもいい。

ボウリング・フォー・コロンバイン』の受け売りだが、アメリカという国は“侵略”によって生まれた国である。従って「いつか自分たちも侵略されるかもしれない」という“恐怖心”が無意識に植え付けられているのだ。その結果、彼らには身を守るための“排除”の論理が強く働く。常に仮想敵を持つことで民意やモチベーションの向上を図る。清濁併せ呑む東洋思想とは大きく異なる。 映画好きなら分かるだろう。「宇宙人が攻めてくる」という“侵略の恐怖”を描くのはアメリカ映画だけで、「『ゴジラ』を生み出したのは我々人間だ」という「悪は己の内にいる」という東洋的(日本的)思想とは根本的に異なるのだ。ちなみにフランス映画は“女”ね。「女はワカラン」映画、これフランス映画の基本。

星条旗を描き続ける作家=クリント・イーストウッドは、そんなアメリカの本性を人物伝の形を借りて炙り出した。 ここ数作離れていた「イーストウッドのアメリカ映画」に戻ってきた作品だと思う。 『父親たちの星条旗』で描いた「作られた英雄譚」、『チェンジ・リング』で描いた「人権軽視」といったアメリカ(歴史)の恥部を描いていた辺りに戻ったようだ。

実はこの映画、イーストウッド映画のトレードマークとも言える星条旗の描写がない(室内に小さく飾ってあったような気がするが)。 しかし最後の最後、「半旗を掲げる」という台詞と「棺にかけられた星条旗がトルソンの手に渡った」という字幕で星条旗をクローズアップする。 言い換えれば、星条旗そのものは画面に映さずに、星条旗=アメリカを描写しようとした映画なのだ。 まさしく、J・エドガー・フーバーの人物伝を借りてアメリカという国家を描写しようとした映画。

余談

イーストウッド映画をジェンダー視点で切り取っている人をたまたまネットで見つけて、とても感心した。 なるほど、確かに『ミスティック・リバー』では少年時代に男にレイプされた男を描き、『ミリオンダラー・ベイビー』ではジェンダーの崩壊を描いた。一転して『チェンジリング』では母性を描き、『グラン・トリノ』では隣人の少年にゲイ的な要素を持たせている。 実はひっそりと“性”を扱い続けていたのだ。『マディソン郡の橋』では中年の性を、監督デビュー作『恐怖のメロディ』では異常者という形で。 こう振り返ってみれば、イーストウッドが真正面から同性愛を取り扱っても、別に不思議はなかったのかもしれない。

(12.02.11 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)まー サイモン64[*] Orpheus[*] 甘崎庵[*] ガリガリ博士[*] 赤い戦車[*]

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