コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 20世紀少年<最終章> ぼくらの旗(2009/日)

健全な話だなあ。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







とても健全で、学校教育的には正しい話だと思う。 エンドロール後の展開だけを「学校教育的に正しい」と言っているのではない。 解決編としての作りも正しいと思う。重箱の隅をつつかなければ大きな矛盾もなく、1,2章で広げた風呂敷を折り目正しくたたみ、「シャマランたまらん」的なビックリするような飛び道具もなく、我々を解決へと丁寧に導く。 主人公側は誰も傷つかず、誰も直接手をくださない。 なんという学校教育的な健全さ!

しかし、「学校教育的な健全さ」は「ツマラナイ」ことなのである。

校内放送でポールモーリアが流れるのは学校教育的には健全かもしれないが、体制に反してT・レックスを流すから楽しいのだ。 大人の目を盗んで秘密基地を作り、予言の書なんてものを書くから楽しいのだ。 聖人君主や神なんてものはツマラナイ。猥雑で、苦悩して、滑ったり転んだりするから人間はオモシロイのだ。 (ていうか、ポールモーリアは無害だけど健全じゃないよなあ。)

この映画で、学校教育的に正しくない=楽しい箇所は数えるほどしかない。 平成の魔女・小池栄子先生と高嶋政伸くらいしかない。あと光石研ね。光石研はいつだってウヒャウヒャ言っちゃう。いつだって学校教育的に正しくない。

中でも小池栄子先生は、さすが堤幸彦、圧倒的なオモシロ芝居を見せてくれる。 「私は宇宙と一つになるの!」と絶叫する姿は、『ねらわれた学園』峰岸徹を彷彿とさせるものの、残念ながら本作にはあの峰岸徹ほど「映画をかっさらう」舞台が用意されていない。それがダメだ(<そこか?)

また、学校教育的な健全さには「分かり易さ」が伴い、具体化、具現化した結果、矮小化されたものが提示され、それがツマラナイ要因になっていると思う。

例えば、神だのナンだの宗教的なものが提示されたからには“罪”が伴うのが普通である。 しかし本作は、人が生きることの“原罪”ではなく、万引きという具体的且つ矮小化した“罪”で代用する。 例えば、「音楽が人を救う」といった類のことを、「コンサートに来れば被害に合わない」というクダラナイ実用性に置き換えてしまう。

「ともだちは誰か?」から「ともだちを作ったのは誰か?」という話が持ち上がってくるが、これもまた、「怪物を産み出したのは“人”だ」ということを矮小化してしまう。 怪物が、いじめられる側の大きな悲しみを包括した代弁者となっていない。 怪物を助長させたのは、その啓示を鵜呑みにした大衆であるはずなのに、その恐ろしさも描かれていない。 それどころか、氷の女王なる正体不明のメッセージを鵜呑みにする大衆の愚かさ。

人気マンガ原作の大作であるが故、「ツッコまれない」作りに徹したのであろうことは、よく分かる。実際、よくまとまっていると思う。 でも、マジメなこととオモシロイことは、必ずしもイコールじゃない。

(09.08.31 新宿ピカデリーにて鑑賞)

(評価:★2)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)stag-B[*] 代参の男[*] IN4MATION[*] サイモン64[*] k-jam Master[*] おーい粗茶[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。