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[コメント] 人生に乾杯!(2007/ハンガリー)

何故、年寄りの暴走は応援したくなるのか?
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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ハンガリー産「『ボニー・アンド・クライド』老人版」という触れ込みだが、間違いではないし、そうひどいネタバレでもないだろう。 だが、“若者の暴走”と“年寄りの暴走”は本質が違う。

俺たちに明日はない』(1967年)がアメリカンニューシネマと呼ばれた時代、“若者の暴走”が描かれたのは、一つの時代の流れだったのだろう。 必ずしも犯罪ばかりではないし、多少制作年も前後するので同一視すべきではないのかもしれないが、私は『灰とダイヤモンド』(1957年)や『八月の濡れた砂』(1971)などに共通する“美学”を感じてしまう。 それは、若さ故の“焦燥”や“冷酷さ”であり、将来ある者が“破滅”していく姿なのだ。

だが、本作の“年寄りの暴走”は大きく異なる。 経験豊富の人生から滲み出る“余裕”と“優しさ”であり、老い先短いことを自覚した上での“開き直り”なのだ。 今、こうした老人映画が作られるのも、一つの時代の流れなのかもしれない。

ハンガリーの国情はよく分からないのだが、推測するに、ソ連支配下の社会主義体制が崩壊してEUに加盟、いよいよ本格的に資本主義経済化しつつある、といった状況だろうか。賞金クイズ番組(たぶん「クイズ・ミリオネラ」だろう)を見ているのも、その象徴かもしれない。 だから共産党に永年勤続した主人公は貧困の中で暮らしているのだろう。 ソ連製の自動車と拳銃を後生大事に持っていたことから、転換した社会に適応できず、あるいは不満を抱き、過去を懐かしんで暮らしているように思える。

一方婦人は、元はいいとこのお嬢さんである。 冒頭、共産党が資本家の家屋を接収する50年前からスタートするが、ビリー・ワイルダーが『ワン・ツー・スリー ラブ・ハント作戦』でみせた典型的な「貧乏党員と資本家の令嬢」構図。ダイヤモンドのイヤリングや、「オニオンスープの作り方を使用人から教わった」という台詞からも推測される。

孤独な老人の映画というのは他にもあるだろうが、この映画が面白いのは、こうした(身分違いの恋で結ばれた)老夫婦の物語という点にある (対比として刑事の恋人物語も描かれるが、それはあまり面白くない)。 長年連れ添い、なんやかんや不満を言いながら、お互い深く信頼し合い、愛し合っている様が手に取るように分かる。 逃避行が、まるで若者の駆け落ちのようにさえ見える。 そう考えると、二人の出会いのシーンにグッとくる。

この映画が嫌らしくないのは、余裕があるからかもしれない。 世知辛い話になりがちな設定を“ほのぼの”した物語に昇華(消化)した良作だと思う。

(09.07.12 シネスイッチ銀座にて鑑賞)

(評価:★4)

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