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[コメント] ストレイドッグス 家なき子供たち(2004/アフガニスタン=イラン=仏)

絵に描いたような戦災孤児の話であるのに、あまり悲惨な感じがしないのは、素人子役の限界だけでなく、本筋と直接関係のない市井の記録映像の数々(演出されたものとは到底思えないその瞬間、その場所ならではの赤裸々な時代の断片*)が異様に肥大した存在感を誇っているからだろう。子供目線の児童映画としても、劇中で言及されるネオレアリズモより、ザジやモモ(エンデ)のアナーキーで遊び心に溢れた白昼夢の詩情を感じさせる**
濡れ鼠

*河原で一斉にごみ拾いに取り掛かる浮浪児のしっちゃかめっちゃかな群像絵巻から、町はずれのグラウンドでターバン巻きの男たちが入り乱れる闘犬試合まで、土地の事情に通じていない者からすれば、にわかに現実のものとは信じかねるスペクタキュラーな情景が多い。前にも後にも、補足的なカットが続かないので、余計異物感が強まる。それが、また、下手に按配された本筋よりも、よっぽど時代の空気をきのままもぎ取っている印象を与えるのだから不思議なものだ。

そのなかに、二人の子供たちが、素知らぬ顔をして混じっているから面白い。そのせいだろう。ドキュメンタリー映像を劇映画のなかで流用したような虚実の境界線が融解する感じが付きまとう(ひょっとして全部が全部、巧妙に仕組まれた演出なのかもしれませんが。。。)。埃ぽっい露天市場のショットも、銃後の混沌を一ヵ所に凝縮した勢いがあって、目を奪われる。

** とりわけ、それを強く感じさせられたのは、基本動機となる自転車泥棒の人を喰ったパロディ(街中の名画座でかかっているデ・シーカの古典から二人は案を得る)はもちろん、冒頭でキュートな小犬をアメリカ人の忘れ形見だからといって子供たちが松明を振りかざして追い回すシーン。何と、米軍の空爆の腹いせに、罪のない犬コロを生贄に捧げようというのだ。犬好きにとっては、この一連のシークエンスは、そのへんのホラー映画よりずっとホラーしている。犬を焼き殺せと合唱する餓鬼どもが、『食人族』の野蛮人に見えて仕方なかった。ちなみに物の本によると、ペルシア古来の拝火教はどういうわけか筋金入りの犬派で猫を不浄なものとして虐待するのに対して、後に地域を席巻した回教はその真逆だという。ツウィギー(キャストにクレジットされている犬の名)にとっては不幸なことに。。。

また、スリやかっぱらいで糊口をしのぐ浮浪児たちの巣窟と化した丘の上の屋台村のような?場所もいい感じを出していた。まず、巨大な掃き溜めのようにゴミゴミしたカーブルの市街の俯瞰を後景に切り取る高台の彼方に、幼い兄妹が点となって消えてゆくロングショットからして圧巻。深更の街灯りが滲んだナイトブルーの画面も夢幻的で陶然とさせる。その天と地の架け橋のような場所を二人が訪れる度に、妹は連れてくるなと、再三半畳を入れる女頭領とのやり取りも、シュールで狐につままれたような気持ちにさせられる。そして、妻子を失って同じ丘の外れの廃車のなかに棲みつている浮浪者との一件は、それ自体悲惨な話なのに、サイレントコメディのいちエピソードのような小気味良さを伴う。今、回想していて気がついたのだけど、このくだりは、リアルがファンタジーの領域とそこはかとなく戯れる感じなど、前作『わたしが女に・・・』に共通するものがある。。。。ちょっと、我が国の「えんとつにのぼったふうちゃん」を思い起こさせる非日常の鏡面に拡大投射された孤児の郷愁と、雑草のように根強い土着のユーモアが同居する不思議な時間が紛れもなく本作の大きなチャームになっています。

(評価:★4)

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