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[コメント] バットマン ビギンズ(2005/米)

名作であるバットマン:イヤーワンに余計なエピソードと要素を付け足した結果、リアルな世界にバットマンや敵の忍者軍団の存在が浮いてみえる。いっそバットマンがガンカタしてしまうような映画にすればよかったんだ。
がちお

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、アメコミ・・・しかもバットマンなんて俺が言うのもなんだが所詮コスチュームきたいい歳こいたマッチョなオッサンが自警団をやってるというだけの話である。

これをどのように描いても、そもそもリアルになりようがない。

まず、リアルな世界観にバットマンを出せば浮いてみえるのが当然。

この映画ではそこのリアリティラインがどうも中途半端である。

リアルにすべきところとリアルにすべきでないところを間違えている。もっと言えばリアルな世界を描くことでバットマンが浮いてみえる。ケレン味もサービス精神もないバットマン:イヤーワンだ。

例えばサム・ライミのスパイダーマンは同みてもリアリティラインの作り方がうまかった。

実際のニューヨークにスパイダーマンがでてきてもおかしいはずなのにケレン味のあるアクションや程よいユーモアやサービス精神でスパイディ自体が存在してもそこまで違和感を感じない世界を作っていた。

これは何よりも、ライミ自身がマーヴェルコミックの大ファンであり研究に研究を重ねた結果生まれたものだろう。

さて、このバットマン・ビギンズはどうだろうか?

結論を言うと、浮いてみえる。

周囲が何のケレン味もなく犯罪ドラマをしてる中バットマンが出てきても正直存在が浮いたものになる。

二次元文化であるコミックや漫画、アニメやカートゥンの世界ならどんなにキテレツな格好をしていても所詮絵でしかなく浮いたものにはならない。

事実、この映画が元ネタにしているであろうエピソードのバットマン:イヤーワンではいわゆるスーパーヴィラン(超能力者やコスチュームをきた犯罪者のことをいう)は敵ではなく実際にいそうなマフィアが敵になっているがとてもリアリティの作り方が丁寧である。

この話もバットマンの誕生を描いたストーリーだが、このバットマンは誕生したばかりの未熟者で相手に隙をみせてしまった結果ナイフで刺されれば傷つき、警官隊に突撃されて殺されかけて死にそうになったり、ホームレスを救おうとした結果救えなかったりと基本的に情けない。

さらにこれ以前バットマンになる前に自警活動を起こした結果、娼婦からリンチされかけたりと非常に情けない。

ここまで情けないと、燃えないだろという声もあるだろうがところがどっこい燃えるのである。

情けない半人前のバットマンが傷つきながらも立ち上がりボロボロになってもがんばる決意をする様は全く涙を禁じえない。

そして、漫画の中で描かれておりキャラクターのモノローグを中心に作った結果心理描写は丁寧なものになりバットマンの内面に心底共感がもて、読み応えのあるコミックになっている。

だが、三次元であるこれは実写映画なのだ。

ある程度のケレン味がないと、バットマンという存在が浮いてカッコ悪く感じてしまう。

ところが、愛すべき我が友クリストファー・ノーランは勘違いしているのだ。

アクションを粗末に撮り、淡々と映画を撮る事がこの映画において正しいとおもっているのだ。

そりゃサスペンス映画では正しいんだろうが、この映画所詮ヒーロー映画だ。

ケレン味がなければ全く面白みがない、もっといえばヒーローが現実にいそうと感じないのだ。

と、ここまで貶してきたがある面がなければ俺はこのバットマン・ビギンズに☆3つは与えただろう。

敵がスケアクロウとマフィアだけならば、俺は☆3つで許してあげましたよえぇ。

さて、皆さん。

今からする話題こそ最大の欠点である「メインのボスキャラ」である。

それこそラーズ・アル・グールだ。

原作におけるラーズというのはアメリカ人にある東洋文化への憧れと興味、そして嫌悪と侮蔑のつまったいわゆる「フー・マンチュー」的な悪役である。

何百年と生きる暗殺組織のリーダーで指導者。自然環境が持続する為には人類の存在こそ不要と判断し、人類を減らし自分がユートピアの指導者にならんとする男である。

俺は正直、原作コミックでもたびたびでてくるこいつの存在があまり好きになれなかった。

正直、大物悪役のはずなのに思想は所詮グリーンピースの出がらしのようなもので共感がもてないし大物のはずなのに父親に殺されかけたり娘にはよく裏切られたりとカリスマ性に欠けており、そもそも暗殺組織のボスのはずなのにバットマンとタイマン勝負をすれば殺されかけているほど弱い。

だが、こいつはこいつである作劇上での個性というべきかもっと言えば他の悪役にはない魅力がある。

それはラザラス・ピット。

これはいわゆる不死の泉のようなもので、これに身を浸すことで死から逃れられるというものだ。これを使う事でラーズはそんな中途半端な思想と戦闘力を忘れてしまうほど、作品に貢献できるのだ。

さて、この映画バットマン・ビギンズだがリアルな世界観こそウリのはずである。なら皆さんに聞きたいが、こいつことラーズ・アル・グールなど出す必要があるのだろうか?

出す必要がない、スケアクロウとマフィアだけで充分である。

っていうか・・・そもそも、リアルな世界観なのに敵が忍者っていう発想がありえない。

で、日本独自のスパイ文化である忍者がなぜヒマラヤにいて古代ローマの時代から存在し続けていて世界の歴史に介入しているんだ?(とりあえずこういう設定なんだよねノーランさんよ)

もっと言えば、なぜ影武者を出す必要がある。

最初からリーアム・ニーソン自身がラーズ・アル・グールという名前をだしてでておけばいいだろう。

それをリアルだとおもったのならノーラン君、君は頭がおかしいよ。

君こそ、アーカム精神病院にいく事をオススメしよう。

まぁそれは言い過ぎだとしても、この映画におけるラーズの存在はそれほど浮いておりブルース・ウェインの師匠兼悪役という作品のストーリーにおける最も大事な部分、中核をなす人物であるだけにこの映画のバランスを大いに崩しているものだと思う。

またさらに、こいつとのラストバトルで散々、犯罪者を粛清するという大きな正義を否定し続けてきたバットマンがラーズ・アル・グールを見殺しにするということで屈してしまうのである。

あれはどう言い訳をしようとも殺した事と同じである。

あんなに不殺を否定し続けてきたのにおかしいでしょうが、それじゃ。

こんなダブルスタンダートなバットマンに街を守ってほしくないしバットマンといいたくもない。

何度も言うが、この映画の元ネタはバットマン・イヤーワンである。

イヤーワンにはラーズはでてこない、マフィアだけしかでてこない。

だからこそ、リアルな世界観の中でバットマンが活躍するのを読者は楽しめる。

バットマン・ビギンズはラーズ・アル・グールをメインの大ボスに選んだと言う時点で作品として失敗をしているのだ。

というのが2005年の思ったことだ。

で、2012年のダークナイト・ライジングだけど・・・・やっぱラーズはどう考えてもいらない悪役だったよな、これ。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ロープブレーク[*]

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