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[コメント] 関の弥太ッぺ(1963/日)

度股ものは任侠よりも寅さんに近いのだが、山下はこれを任侠に寄せて描いている(含原作のネタバレ)。
寒山

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作との異同を中心にだらだら書きます(もしかしたら原作にバリエーションがあるのかも知れませんが、現在流通しているものと比較しています)。

○原作では大坂志郎を殺すのは中村錦之助で、木村功ではない(細かくは、傷を負った大坂が「あっしなんかいないほうが娘のため」と川へ身を投げる)

これは原作のほうが当然衝撃力に勝り、収束のニヒリズムを盛り立てるだろう。あんまり錦之助を痛めるなという、スターシステムの弊害が出たのじゃないだろうか。原作通りなら、錦之助が大坂を切り捨てた木村とすんなり兄弟分になってしまうという、無理筋な展開も必要なかった。

続く、娘を近江屋へ預ける丁丁発止の件は原作も映画もほぼ同じで、ここは素晴らしく充実している。錦之助が娘の耳を塞いで父の死を近江屋に告げる件、父を待つ娘の唄を聴いて全てが解決してしまう件と、あまりに美しく、大衆演劇ではおひねりが乱れ飛ぶ処だろう。長谷川伸においては、弱きものを助けるのは最優先の倫理観なのであった。子役の上木三津子が不思議ちゃん系でいい味。

○原作に岩崎加根子による錦之助の妹回想の件はない。

これは時間調整のための追加なのだろうか、しかし優れている。時代劇の珍しい岩崎の長尺の嘆きがとてもいい。

○原作では中盤の錦之助・木村の再会はあるが、ここで殺陣はない。錦之助は剣の名手ではない。

映画としては欠かせないチャンバラなんだろうが、全体には勇み足に見える。こんなに錦之助が強いのでは、ラストの死にに行くニヒリズムが腰砕けになるだろう。だってこの調子じゃ何人に囲まれても勝っちゃうもの。

○原作では錦之助が自分が恩人だとバラす。

これは映画の圧勝。キメのフレーズ「辛えことは忘れることだ。忘れて陽が暮れりゃあ明日になる」のリフレインが泣かせる。十朱幸代の気づきは美しい。しかし十朱はイマイチだなあ。彼女は私見ではあの一本調子で真面目なのか嘘なのか判らないような芝居の巧みな人であり、本作の純情可憐には向かないと思う。上木の成長した姿としては不思議ちゃんを継続していて絶妙なのだが。

○原作では木村は回心して錦之助との決闘はなしになり、最後にふたりでヤクザ連中を切り倒して去って行く。

長谷川伸の度股もので主人公は死なない。『瞼の母』も『沓掛時次郎』も『一本刀土俵入』も。無念のまま生き延びることに意味があるのだから。一方、特攻美学の山下耕作にとってここは主人公に死んで貰う処なのだろう。ラストは加藤泰ばりのローアングル。個人的な度股映画と集団的な任侠映画は別物だと思うが、山下にあってはこの度股ものは続く任侠映画の前哨戦だったんだなという感想。

(評価:★4)

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