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[コメント] 自由学校(1951/日)

喜劇的に混乱した世相を喜劇的に生きる喜劇俳優に囲まれて、佐分利信の心を映すものは何処にもなかった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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各俳優のイメージをひっくり返す、いわば内輪受けのギャグの釣瓶打ち。まともなのは田村秋子ぐらいではないか。淡島千景はいつも通りだが当時はいつも幾らか狂った役処であり、他の役者陣が淡島に感化されてネジが外れたような具合。戦前の二枚目代表佐分利信にとってこの鬱状態は戦後の与えた懲罰のよう。高峰三枝子には『』で箸を楊枝代わりにしたりと乱暴な主婦の役処があるが本作も達者なものだ。ナヨナヨした佐田啓二の芸達者振りは驚きで、いつも二枚目で受け身に徹することが多いが、巧い俳優だと思う。笠智衆はまた、渋谷にかかると色んなこと演らされるものだ。最高なのは高橋豊子のブルジョア婦人。

高峰が唯一まともな田村と、男性と戦後について語らう場面が総括になり、だから高峰は男など勝手にさせて働きに出ることになる。彼女の心意気を捉えた痛快な収束だが、一方、佐分利の造形が砕けたまま終わってしまうのが意外で、ゴールデンウィークのお笑い劇の締めくくりとしては重く、これまでの喜劇がふっとんでしまい、辛辣なブラックユーモアの様相を呈する。

保釈され帰宅する佐分利は、高峰に諭されても駄々をこねて「家は牢屋だ」と呟く。屑屋などで苦労しても彼は何も変わらなかったのだ。内面も外面もないような喜劇的人物に囲まれて、彼の内面は全く画面にさらされなかったのだったのだと知れる。エプロン放り投げて導入部と同じ縁側に寝転ぶ彼は、これからどうなるのだろう。先行きの見えない不安が画面を覆っている。物語は獅子文六の原作通りらしく、優れたものだと思う。

(評価:★5)

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