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[コメント] ストーカー(1979/露)

』と一対をなした母体回帰の物語
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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本作は、息子の側から見られた『』だろう。野原を見渡す母の(隕石で破壊された)田舎住まいを目指し、緑濃い野原に分け入る。三人は何度も大地に倒れ込み、昼寝して『』ばりの夢を母と共有する。細い穴を通って「部屋」へと進むショットは産道の暗喩に違いない。古来、数多ある母体回帰、マリア信仰を主題とする芸術に本作も連なる。冒頭、作家の連れの女の同行をストーカーがすげなく断るのもそのせいだろう。

ここさえ見逃さなければ本作は何も難解ではない、むしろ単純な物語である。詩作はキリスト教からの引用で満たされる。「弱いことは偉大で、強いことは無価値だ」。作家と教授は「エマオという村」の引用(ルカ書24章)でバカ弟子に喩えられる。しかし勿論、ストーカーもイエスではあるまい。

どうにも弱いのは『惑星ソラリス』の縮小変奏版に見えてしまうSF意匠だろう。「ゾーンは私たちの精神状態の反映」という設定はソラリスの海の変奏に他ならないが、あの記憶の具象化という秀逸な描写が本作には殆どなく、科白で処理されるばかりだ。部屋の前まで辿り着いたのに、「一番の望み」が叶えば碌なことにならないと三人は入室を拒む(「猿の手」というホラー小説が想起される)。その、碌でもないことを映像で見せてほしかった。まるで三人は『ソラリス』をすでに劇場で観ていて、あんな具合になったら困ると知っているみたいなのだ。

その映像はラストの、名高い子供の超常現象(このテーブルを滑るグラスは冒頭でも少しだけ現れている)に凝縮して現されるのだろうか。このショットは多義的だ。これは碌でもない事態なのか。それとも救済の始まりなのか。興味深いが、多義的に過ぎて焦点がボケていると思う。さらに、本作の最弱点は終盤に露見する教授の破壊工作で、唐突に過ぎてどんなジレンマなのかまるで判らない。これらは脚本の失点だろう。タルコフスキーとストルガツキー兄弟のコミュニケートが万全だったとはとても見えない。

タルコフスキーは「ゾーン」を明らかにキリスト教の暗喩として使っており、SFに熱心ではない(美術的にSFっぽいのは貨物列車の搭載物ぐらいで、他はSFを積極的に避けている具合だ)。宗教が抑圧されたソ連への隠れ蓑だったのだろう。何の制限もなくキリスト教を語る次作のほうが断然優れている。ただ、ソ連を敵に回して、主題を隠喩としてどう語るか、本作の見処はその苦心であるように思われる。

アクション少な目だが、最初の包囲網突破のカー・アクションはとてもいい。ジープは意外な場所を通過し続け、意外な処から再登場を繰り返す。ギャグもいいものがある。第二部の冒頭、「教授がいないぞ」「後戻りできません」と、とんでもない滝を通過すると、そこは直前に休憩していた場所で、教授が待っている、というキートン張りのギャグがキートンのようにシニカルでいい。突然鳴る電話もシュール。

私的なベストショットは「産道」の先の水没する廊下。乾いた沼地に竜巻が起こるショットもとても美しい。

(評価:★4)

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