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[コメント] 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983/日)

シリーズの決まり事転覆の極めつけ。おいちゃんとおばちゃんの馴れ初めの詳述が本作を更に味わい深いものにしている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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寅さんがマドンナを振る話。これまでもシリーズの決まり事を少しずつ転覆させながら回を重ねてきているのだが、ここで取って置きが投入されている。本作公開当時、おすぎとピーコがラジオで「駄目じゃない寅さん」と絶叫していたのを覚えている。もちろんその感想は監督が観客に求めているものだろう。寅の不器用と甲斐性なしへのじれったさ。しかし寅は「駄目」ではない、彼は良いことをしたのだ。ここでの寅は彼なりのやり方で、いつも以上に人情に厚い。

竹下景子にとって大切なのは寺の生活であり、その中での寅への思慕だ。彼女はそういう女性である。酒癖悪く法事をすっぽかす松村達雄と、家出した跡継ぎの中井貴一(辞めたのは仏教系の大学なのだろう)の間で悩んている。風呂の焚きつけの件でも、松村と竹下の話の内容は現実的なものだ。それを寅も承知している。

寅は竹下への想いよりも、寺の心配を優先させている。坊さんになれないかと彼なりに画策し、なれないと知った時点で結婚は難しいという判断を下したのだと、河原で源公に語っている。このとき竹下が寅を好いているのも寅は認めている。いつもならそれらは喜劇らしい調子外れの誇大妄想なのだが、今回はこれはひっくり返され、本心が正確に述べられている。

寅の判断はこうだろう。実際寺は継げない。中井なき後、寅と竹下が結ばれれば、寺は後継ぎがいなくなる。竹下に寅との結婚を勧める松村の方が現状認識を誤っている。竹下は後継ぎと結ばれるべきだ。竹下を振る寅の判断は、松村と竹下と中井を想ってのことだ。家出した中井を、かつての自分にWらせた寅(岡山の酒の席で竹下に語っている)は、とりわけ中井を応援しているに違いないのだ。さくらにお道化て云う「というオソマツさ」は、犠牲になったのは自分だけで済んだという優しさに溢れている。

音楽は徹底してマイナー。冒頭からしていつものジングルじゃなく松竹悲恋もの直系だし、寅と竹下の出会いの石段の件で、すでにヴァイオリンがすすり泣いている(同じ曲が駅での別れ他でも変奏して使われている)。悲恋映画は振られる者のための映画であり、本作は竹下の映画だ。彼女が寅に冗談めかして「安心したか」と云われて子供のように首を振るシーンは忘れ難い。長門勇が噂話として語る「寅さんが坊主になれないのが」竹下の悩み、という前振りがあった。だからこのとき、彼女は寅の優しさを判ったに違いない、と思いたい。

やたら泣くタコ社長と、子連れのレオナルド熊の哀愁もいい。喜劇人・長門はもったいないが、彼が全開になる映画じゃなかった。冗談少な目だが、説法でテキ屋の口上を述べる寅と、おいちゃんの「これが本当の三日坊主」がいい。すでに家庭用パソコンがあるのは驚き。

ベストショットは、雷に驚いたおばちゃんがおいちゃんに抱きついた次のカットで(停電を挟んで)、中井と杉田かおるの抱擁を捉えるというカット繋ぎ。若い二人の関係を老夫婦にWらせてとても微笑ましいものにしており、なおかつ寅と竹下の別れにまで倍音を響かせている。この老夫婦のような幸せが望めない事情なら、ふたりは別れてよかったのだという。

(評価:★5)

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