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[コメント] あれが港の灯だ(1961/日)

水木洋子賛。「脚本家 水木洋子」の読書感想文。
寒山

水木洋子は最初、本作に「漁業形態と李ラインの話さえあれば」描けると目論んで手を付けている。それが在日韓国朝鮮人を加えざるを得なくなり、調査と執筆は一年半に及んだと云われる。水木は語っている。「李ラインからこっち側の葛藤もー日本の国の中でさえも対立はあり得ると考えてきたんです」「世界の二分された状況というものは、この映画の中にはっきり象徴しなければならぬという結論に達しました」「こんどの作品でもラインとか怪船といった目先の現実よりもっと大所高所に立って、結局安価なヒューマニズムではこの木村の“秘密”は救えなかったという事実を指摘したいのだ」。

「葛藤」は脚本執筆のイロハであり、随分前からハリウッドの脚本講座辺りで安売りされているものだ。才能は、このありふれた「葛藤」をどこまで高みに位置付けるかで測られるだろう。水木は「葛藤」を「安価なヒューマニズム」から切断する。解決していないものは解決していない。彼女は観客の刹那の夢のために書いてはいない。ただ問題を最大の強度で提示し続けた。チェーホフのように。本作はこの最良の成果だ。

「北へ帰る不幸もパルツア(運命)、ここに残るもパルツア」。中野重治が感動を持って歌った在日朝鮮人の北朝鮮への帰還を、二階の娼家から見下ろしながら岸田今日子の在日娼婦がドライかつ亡霊のように語るシーンが忘れ難い。時点の有利はあるだろうが、61年にすでに北朝鮮への帰還は不幸と断じている。この冷めたリアリズムが本作を類稀なものにしている。

今井演出については、「倒れる人」の頻出を語ってもいいだろう。『ひめゆりの塔』『越後つついし親不知』と同じく、本作も「倒れる人」、突然モノになるヒトを描いて映画が終わる。物語は突然に失効する。即物的なタッチの非情さ。これは水木脚本が求めたものだ。

本作への大江健三郎の評は有名なもので、本書でも引用されている。「本来、小説家が試みなければならなかった追及を、今井正は、小説家がおこないうる限度をはるかにこえて、はるかに広い層に訴える形でなしとげています。これはかつて私の見た最高の映画でした」。オーシマの『飼育』やマスムラの『偽大学生』に嫌悪感を示し(私は当然と思う)、同時代の映画に寄り添えなかった大江が、旧世代で共産党員の今井を絶賛する巡り会わせは何とも興味深い。

晩年、痴呆症を患い特養で過ごす水木に、ボランティアの方が寄り添った。反応は少なく、あっても「いいときもあったのよ」「みーんな忘れちゃった」という哀しいものが多いなか、彼女の代表作を読みあげ、どれを上映したらいいか訊ねたとき、「あれが港の灯だ」のところで応えが返ってきたという。「これっ、これよっ」と。

(評価:★5)

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