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[コメント] 星の子(2020/日)

幸福の科学製作の映画と間違えて隣の映画館に入ったのではないかという浮遊体験ができた。私見ではこれは新興宗教の肯定。カルトなのか無防備なのか見分けがつかない。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







物語で二択が迫られるとき、常識を覆した選択をした方が当然面白い。私は戦前の情報局映画などよく観るが、今ならあり得ないような戦争肯定が山ほど出てくる。それは結局、事前の意図に沿ったプロパガンダだから、観終わって振り返ればシラケるものばかりなのだが、物語の展開としては面白い、ということがある。本作の新興宗教も似た処がある。

本作の物語は、新興宗教を主人公は(あるいは作者は、テクストは、映画は)肯定するかどうかの二択で進行する。個々の体験を、感想が生じる直前で寸止めにして観客に投げ出すような巧みな編集があり、序中盤はとても見応えがある。しかし、終盤に物語は新興宗教の肯定に傾く。

どのように傾いたか。ひとつは岡田将生のイケメン先生で、「河童みたいだ」「完全に狂っているな」なる両親の批評とともに全くの悪役に転落してしまった。反対の反対は賛成というバカボンのパパの云う通り、新興宗教は岡田が軽蔑したことにより肯定されている(これは通俗な話法だろう。もっと微妙な立ち位置の、芦田に寄り添った友達に両親を否定させないとドラマにならない)。

ひとつは黒木華の教団職員で、中盤と終盤に出てきて「貴方たちがここ(教団施設)にいるのは宇宙の意志で、自分の意志とは関係がない」と子供らに囁く。これがこの教団の教えである訳だ。黒木の肯定的なキャラ設定と反復から、映画はこの主張を肯定しているとしか思われない。ラストの両親と眺める満天の星空もここから説明される。永瀬正敏の父親は、流れ星が「まだ見えないなあ」と最後に呟く。宇宙の意志さえ整えばそのときは流星が見えるのだろう。

このように肯定された新興宗教に対して、両親と距離を取れと進言する大友康平の親切を芦田は断る。晩飯もつくらず修学旅行費も出さない両親を、中学生の芦田は支えようとしている。これは、無茶苦茶である。芦田の決心が美しい、というレベルの問題ではなかろう。行き過ぎた自己責任にしか見えない。北川れい子は本作を「結局、愛さえあれば?」と冷やかしているが、私の感想もそんなものだ。

大友康平(このオジサン、いい人だと思った)の告発作業に生ゴミ臭い姉はナイフを向け、「訳判んないけどナイフ持ってた」と告白する。両親は否定できない。妹もこれを踏襲する。親は選べない、親を信じるのは宗教みたいなものだ。邦画百年、親を捨てる子の話は大量につくられたが、何が何でも親についていく子の話は映画は珍しかろう。この意味でも二択の常識外の選択が示された作品とは云えるのだろう。しかし結果は脱線しているとしか見えない。

河童の両親は、羞恥心を超えるのが大切と語っているだろう。羞恥心はカルトへの防波堤だ。神社の石畳に平伏するのも、ハイルヒトラーで片手振り上げるのも、羞恥心を超えれば何ということもなかろう。

そこで判らないのが合宿。参加者は座禅を組んでいるが、これはおかしい。当然に全員がタオルを頭に載せているべきだ。ホールでそうしてもよろしい。それでこそ主題は徹底されたと云うべきで、これをしない映画は何かを隠しているとしか感じられない。

終盤の大施設は恥ずかしいなんてものではい立派なもので、よく判らないアピールに見える。両親を探して芦田が施設を放浪するのも、どうせ見つかるからサスペンスは別になく、ただ施設の大きさと星型のモニュメントを観客に刷り込ませているようにしか見えない。あと、冷やかしの浮浪者みたいなオジサンも宗教の補強のための空々しいキャラだ。「ちひろだけが、大好きな両親を信じた。」とはチラシの惹句だが、教団だって別の意味で信者を信じているだろう。

自分の赤ん坊時代に水使って救われたから両親が新興宗教にハマった、という罪悪感を芦田は持っている、というセント先輩の有力な見解があり、なるほどと思ったがその視点は私は映画の中では発見できなかった。無意識としてあるということなら判りますが。

ホンと阿吽の呼吸で進む編集は上等、ロケも丁寧で、川があってガスタンクがあってちびっこ広場の滑り台がある下町がいいし、坂下のいい踏切と海際のいい駅のホームがあった。しかし撮影は平凡。先生に両親見られて芦田が夜の町走る件はひとつのクライマックスだったが、『アパートの鍵』のシャーリー・マクレーンや、『クレイマー』のダスティン・ホフマンの縮小再生産で教科書通りでしかない。

オウムからイエスの箱舟まで、新興宗教は我々世代にはセンシティブな問題だった。いまでも幸福の科学の映画が隣の映画館でかかっていたりするし、親学なんてヤバそうなのも出てきている。あっきーが関係している「不二阿祖山太神宮」(富士山麓に施設がある)は「病気が治る奇跡の水」なるものを販売していた過去もある。芦田の娘の思いは美しかろう。しかしそれを喰いものにする悪い大人はたくさんいる。映画は(カルトでないなら)これに余りにも無防備と思われた。

(評価:★2)

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