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[コメント] 怒りのキューバ(1964/露=キューバ)

顔アップと地平に棚引く黒煙で箆棒な迫力のソ連映画、のこれは完成形に違いなく、放水と黒煙と日光が交錯する階段の突撃の件はもうモノクロ映画の極点の興奮がある。『ポチョムキン』『』と比肩するアジ映画の代表作だろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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人物の顔が画面の片隅でドアップの続くこのタッチ、魚眼レンズの類なんだろうか。画面はしばしば傾き揺れ続けており、こういうのは下手に撮ると『カルメン純情す』みたく船酔いみたいな気持ち悪さに至ると思うのだが、本作はとても気持ちいい。観客の生理に合致する確固たるリズムがあるのが判る。奇怪な繋ぎがフェリーニを想起させる作品なのだが、このリズムはフェリーニとは違う独自のものだ。『鶴は飛んで行く』にもこのようなショットがあった記憶があるのだが、本作はこれが全面展開されていて派手派手でとてもいい。

泥濘のスラムに外車で到着する売春の件からして箆棒で、巨大なサトウキビ畑の伐採作業はほとんど驚異。どうやって撮ったのか、実写かセットか背景画なのか。自分の小屋焼く農夫の諦念が、野外映画のスクリーン(記録映画)炎上のテロルに繋がる。撒かれるアジビラの影が素晴らしいし、ポチョムキンを引用する階段のクライマックスの突撃は、放水と(焼けた自動車の)黒煙と日光が交錯して、もうモノクロ映画の極点の興奮がある。

最後の高地の爆撃は焼けた樹木が十字架になり、冒頭のコロンバス記念碑の十字架が反復される。共産圏なのにキリスト教がなぞられる。「祖国のための死は永久の生に至る」という歌が二度歌われ、「私はキューバ」とエピソードの最後に語られ、キューバの旗とともにナショナリズムが主張される。これが原作の詩の思想なのだろう。コミュニズム(インターナショナル)というよりも第三世界的だ。キューバ革命は成功し、現在に至るまで他国に迷惑をかけていないのだから、文句つける筋合いはない。本作は冷遇され忘れられていたと云われるが、原因はこのナショナリズムにあったのではないかと思われた。

キューバにはタワーマンションまで林立している。こんな都市があった処からして勉強になった。冒頭、音声もないバックにキューバの現況を解説する日本語字幕が記されるのだが、あそこは各国毎にスペースを当てがわれたのだろうか。「かいせつ岩崎昶」とあった。配給日本海映画。

(評価:★5)

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