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[コメント] 僕たちは希望という名の列車に乗った(2018/独)

ベルリンの壁建設前の疑心暗鬼をファスビンダー的にシリアスな心理劇で示すべき題材だと思うのだが白黒明快な通俗に留まる。別に通俗でもいいのだがそこに心理劇では喰い合わせが悪く大雑把に留まる。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「ベルリン 分断された都市」というドイツの漫画をついこの前読んだ。ベルリンの壁建設から崩壊に至るまでの東側の市民の苦難が描かれており、とても興味深く読めた。西ベルリンへ逃れようと、窓から飛び降りたり穴を掘ったりロープで綱渡りしたりして、しばしば失敗する。本作を観て、この本の方が映画的だと思った。本作は列車に乗れば西側に行けるだけである。

それでも本作の、壁建設以前の時代に映画的なアドバンテージがあるとすれば、壁建設後には視覚的に露骨に示された当局の分断の意図がまだ表面化していなかった、という処にあるだろう。決定不可能の情報に取り囲まれるジレンマ、当局の意図が徐々に浮上する不気味、これに対する追従と抵抗の心理劇。本作はこれが目指されたような外面はしている。しかしこれが上手く主題化されたとは思われない。

民主化が反革命と呼び替えられる東側で、生徒たちはなぜアメリカ発の情報を信じたのか。それがフェイクだった可能性もあった。だが本作はここの処を宙吊りの危うさに置かず、アメリカが正義とハナから決めてしまっている。事後的な視点から正義を決めるのは娯楽作の手法でありシリアスな作劇とは呼べない。

それとも、事の正否は判らないけどそれでもハンガリー動乱を信じてしまった、ということなのか。若気の至りな正義感で黙祷を捧げてしまった。それが大問題になってしまった。それなら判るのだが、どうやらそうでもなさそうなのだ。彼等は黙祷を授業中に行う。学校なり教師への批判が込められたのだろう。しかし、なぜそうするのかがさっぱり判らない。ここまでで観客に与えられた情報は、生徒たちは西側の映画館ではオッパイが観れる、東側では観れない、と知っていることと、ソ連兵を鬱陶しがっていることだけである。これでなぜ学校批判が出てくるのかまるで判らない。これでは心理劇として失敗だろう。

以降の当局側のグロテスクな反応は興味深い。冒頭、俺たちだって好きで駐留してやしないんだとソ連兵は叫ぶ。体制側の人物に穿ちを求めているのだろうと期待させられる。首にナチのリンチの傷跡のある大臣がいて、マシーンのような女性官僚がいて、労働者階級から抜擢されて保身に走る校長がいて、議員や鉄工所労働者の父親がいる。それぞれの思惑が入り乱れる。重要なのは校長や鉄工所とともになされる東ドイツの階級制の告発だろう。共産主義社会で階級とはいいブラックジョークである。

しかし、殆どのエピソードは通り一遍で大して穿っていない。あらかじめ勝ち負けが決まっているゲームを眺めるだけの気分にさせられる。ナチみたいなソ連、とはアンジェイ・ワイダ発の主題であるが、彼の殆どの作品に横溢している悔恨と追悼の深みが本作には欠けている。大臣が学校にやってくる件のブラックユーモアで、当時このような当局批判がまだ珍しい事態だったとも読み取れるのだが、その辺りの描写にも面白味がない。

ラストで生徒らは西側へ逃走するのだが、西側でどのように助けを求めるのかという肝心な処もよく判らない。列車で生徒たちが警官の検査を受けなかったのはラッキーな偶然で、当人たちには良かったのだが映画のドラマとしては腰砕け、冒頭からの尋問の前振りが何だったのかよく判らなくなっている。美術は全般に貧しい。西ベルリン(との格差)を示せたのは映画のポスターだけだし、東側で印象に残るのは鉄工所ぐらいで何のことはない。ラストの列車はえらく現代的な内装だがあれはリアルなんだろうか。さらに邦題はひどい。東側は絶望だっただろうが、西側が直ちに希望ではあるまいに。

(評価:★3)

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