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[コメント] ロートリンゲン!(1994/独=仏)

普仏戦争とナチ侵攻により、アルザス=ロレーヌ地方は二度、エルザス=ロートリンゲンとなった。ロレーヌはストローブの出生地で、彼も小学校でドイツ語を強制的に学ばされている。禁欲的な規則に従い、彼は自分の意見は述べずに普仏戦争を描いた小説で代弁させて、侵略者を批難する。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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巨大な像の広場と大河、キャメラがいつものように回転すると観光船が入ってくる。キャメラは時計塔を見上げると彫刻が埋め込まれている。

1870年、普仏戦争。石畳の路地。白いフリルのついたドレス姿でコレットはゲルマンに接収された記事を読む。石橋の上で振り返り「私は決してドイツ人ではありません」。いつもの現地主義のドキュかと思いきや、俳優が出てくるので驚嘆させられる。ユーモアのようでもあるが、そういう映画ではないだろう。学校の授業ではフランス語が禁止になりドイツ語が強制され、しかし取り消された。子供らはドイツ語の単語の羅列しか学んでおらず、文法的に無意味だったからと理由が述べられる。

1872年、翌日までに土地を去らないとドイツ人にさせられてしまう。財産は捨てがたいというジレンマ。何時間も駅に行列、野原を横切る行列が延々と続いた。西へ去る人々を丘から見た、それは恐ろしい光景だった。フランス万歳の声があがり、ドイツ軍も止めなかった。みんな野宿した、5万人の人口が3万人になった、宗派関係なく集まって一斉に祈り、鐘を鳴らした。コレットが再登場してキャメラ目線で正面むいて、世話になったドイツ人に「結婚はできません」と棘のある声で告げて、映画は唐突に終わる。

本作の原作者ヴィットリーニは右翼。これを根拠に、ストローブ=ユイレは左翼ではないと断じた講演をアテネフランセで聞いたが、そんな単純なものでもないと思った。土地の征服への抵抗という主題は右翼的になることも左翼的(レジスタンス的)になることもある。土地の古来の価値感への住民の共感と団結があれば、それは右翼的だろう。本作にはそういう視点はない。奪われた国語、という主題は右翼的だろうか。一方、左翼的とは市民の国境横断的な協力体制だとすれば、本作単体からはそれは見えにくいとは思われる。しかし、ストローブ=ユイレが住まう多国語の空間は、右翼的なものとは正反対の位置にある。

(評価:★4)

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