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[コメント] 祈りの幕が下りる時(2018/日)

連ドラの年末ダイジェスト版みたいなつまみ食い描写に感動ミュージックが終始鳴り響く原作愛読者向け映画。田中麗奈山崎努がいったい何者なのかさっぱり判らん。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







手紙』でも感じたが、この原作者の映画作品は「悪役」に弁明の機会を与えない。悪人は全く悪人のままで放り出される。加害者は加害者のまま、被害者は被害者のままその立ち位置を石のように動かない。

本作で云えば母親のキムラ緑子がそうだ。棄てた亭主を破産させる悪女。この興味深い人物はいったいどういう来歴なのだろう、という探求を映画は放棄する。それも積極的に放棄するのであり、ただの悪魔として描かれる。そして小日向文世親子の受難だけが延々と追いかけられる。これに私は非常に違和感を覚える。

こういう切り口は当世風なのだろうか。例えば松本清張なら、とんでもない「悪役」の背中をその断絶点に至るまで追いかけたものだった。その断絶点を乗り越えた先には、加害者と被害者の融和があるはずだと信じられていた。本作にはそのような倫理観に基づく努力は露ほども見られない。ただ、悪魔がいるから気を付けようねという、自警団みたいな閉鎖的な道徳感が漂っているだけだ。こんな演出放棄の他方でいくら感動物語を語られてもシラケるばかりである。

さらに、その道徳観にしてからが、違和感を覚えるものばかりだ。伊藤蘭は鬱病で息子を刺し殺すかも知れないからと家を出て逃亡する。彼女がすべきは精神科を受診することであり、このような描写は鬱病者に誤解と偏見を与えるという良識は見事に顧みられない。悲劇は無理矢理感とともにある。

松嶋菜々子は小日向を絞殺した後遺体を焼く。あれほど小日向が焼死を嫌っていたのにそうするのはなぜなのかもよく判らないが、そもそも困窮者が疲れたと漏らしたぐらいでなぜ殺すのか、その貧しい心根が判らない。彼女にはニルヴァーナを信じる心があり、ポスターで見た仏教の救いを実践したということなのか。それならそのように人物造形を積み重ねるべきであり、本作のつまみ食い描写にそんなものはなく、いかにも唐突。ただ炎上が映画的に盛り上がるだろうぐらいの演出としか思われず、松嶋は倫理観を欠いた人物としか見えない。いったい何が「祈りの幕」なのだ。

面白かったのは松嶋の幼少時代が飯豊まりえという顔の変遷が何か具体的で、妙味があったことぐらい。人のいい観客ならこんな映画で、いやあよく判らん、原作読もうか、となる商売の仕掛けなのだろうか。

(評価:★1)

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