[コメント] 幼な子われらに生まれ(2017/日)
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血の繋がらない浅野忠信にベッドから罵声を飛ばす南沙良からは『エクソシスト』が漠然と想起される。なぜ彼女があのように排他的になったのか、映画は説明しない(友達に云われたとか何とか)。まるで生まれながらにそうなる運命だったかのようであり、理性でもっては問題の糸口が辿れない。
一方、新井美羽らと「友達」という関係を築けた鎌田らい樹は、養父の死去に涙する心を持つことができた。許し合いによる頑な心の融和を描いてとても印象的で、「イヴァン・イリイチの死」を想わせるものがある。
しかし、これを脇筋に留め、本筋は南の別居で投げ出す処に、本作の主張はあるだろう。主題は理性のレベルで解決されるべき問題で、子供が感情のレベルで厭だと云うなら、どうしようもなさがある。これは純血主義にも敷衍される話だ。民族対立が発生するのも、この感情のレベルだろう。
調べて知ったのだが、連れ子は現民法でも(遺言に依らなければ)相続権は発生しない。これは「法の下に平等」に反しているのではないのか。封建主義の「感情」が流れている。嫡出子の誕生で南が相続のことを考えた訳はないが、根底に流れる不平等は絶対に感知したはずだ。
これに対して、映画は説教を並べようとはしないし、出来合いの解決も示さない。何もできません、と両手を挙げて、ただ問題を提示している。リアリズム映画はこれしかできないのだ、という潔さを感じる。
田中麗奈の造形はマイペース(予告編)というよりも、一度不幸な家庭を経験した女の、福祉現場にありがちな、気を遣い過ぎのどこかピリピリした空気をよく醸し出していた。このような関係から始めるしかないのだ、と思う。
映画として残念なのは、宮藤官九郎から南へのプレゼントにサプライズがないこと(ガチャガチャさせるために小銭いっぱい持ってきたクドカンの件はとてもいいのに)。このクライマックスで観客に凄いものをぶつければ、さすが読売文学賞の名作だっただろうに。嘘と約束について南に反省させるだけでは、主題と外れている。
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