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[コメント] オーバー・フェンス(2016/日)

2016年主演女優賞当確作品
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







動物を模した舞踏と行水による禊を繰り返す蒼井優は、オダギリジョーの前に巫女として現れる。彼女の口からは元妻優香の恨み言が次々と発せられる。論難されてオダギリは「お前に何が判る」とは云わない。「お前らに何が判る」と云う。彼は蒼井と優香の二人を相手に喋っている。蒼井にしてみれば一般論を述べただけかも知れないが、オダギリとの関係においては別の意味が発生している。この件が恐ろしいのはそこだろう。二人が離婚に至った夫婦喧嘩の夜が再現されたのだ。

優香との再会の場面、嬰児虐待が前提にされているものだから、彼女はどんな人物なのか緊張を強いられる場面だが、意外にも穏やかに過ぎ去る時間のなかで、優香はオダギリを「普通になった」と評する。やたらと相手を評価するのは蒼井の論法だったのであり、ここでも二人の等価関係が強調される。下船直後にオダギリが泣くのは指輪を返されたからだろうか。私には、「普通」と云われたからのように見えた。「普通」を求めるのは間違っている(私小説においては当然だろう)。そして蒼井との関係が立ち現われる。蒼井は二人の再会を盗み見て、正に荒ぶる神の如く激怒する。しかしここでも彼女は夫婦の絆を強調し、捨て台詞は「奥さんに謝りなさい」だ。

オダギリはあの無茶苦茶な蒼井のどこに引かれたのか(私なら御免だ)。空虚の共有が正論なのだろうが、なぜ二人が繋がったか、私は上記から、オダギリは蒼井に優香を見たのだ、と取りたい。時間を遡ってやり直すなら蒼井とだ、と。本作で印象的だったのはこのニュアンスだった。

佐藤作品三部作、私小説という看板に拘る必要もないとは思うが、いつも主人公の描き方がニュートラルに過ぎる印象がある。本作でもオダギリのどこが「人を壊しちゃう」のかよく判らない。造形はとても真っ当な善人であり、唯一、同僚から誘われた女の子との居酒屋でキレる件に片鱗が見えるだけだ(満島真之介の凶行はオダギリが犯すべきじゃなかったのだろうか)。しかし楽天的なラストは、シェークスピアなら「終わりよければすべてよし」並の強引技だが、『苦役列車』では原作を無視した山下監督らしいし、作風に合っている。空飛ぶブランコの児童置き去りのユーモアが、この収束とよく共鳴している。片意地はりなさんな、子供が困っているよ、という感じが。

撮影は両雄の顔の演技に重点が置かれていて、バストショットが実に多い。ダンス(『フラ・ガール』のほうが数段いい)や深夜の自転車二人乗りの件など、もっとキャメラを引いてくれ、と古のハリウッドファンなら嘆くだろう。動物開放の件もドタバタ度が低い。一方、上記の蒼井の部屋の喧嘩や満島がキレる件(職訓校だからいつか刃物沙汰になるだろうと匂わせるのが巧い)は、米ホラーを咀嚼したとてもいい撮影だ。山下好みということでは、職訓校の生徒たちのダラダラした生態は、ヤンキーがかっているが、初期のすでに完成形だったモノグサな雰囲気をよみがえらせて生き生きしている。北村有起哉松澤匠もいい。しかし何といっても蒼井優。山下監督のことだから、彼女の得意技の数々を準備したうえでナルセ並に好きに演じさせたのだろう。結果は圧倒的。重いと同時にとても軽い造形、喜怒哀楽の突然の転換、笑顔に持たせる幾つもの含み、箆棒な啖呵、マシンガン・トーク、涙の寂しさの深度、そしてもちろんダンス、等々、彼女の持ち味が有機的に絡み合って素晴らしい。彼女は既に杉本春子のレベルに達していると思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ぽんしゅう[*]

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