[コメント] この国の空(2015/日)
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物語はいかにも内向の世代の原作らしく皮膚感覚を前面に出したものだ。二階堂ふみの文学的で蒙昧な造形も女三人の陰険ないがみ合いも妙に遠景に留まる男たちも典型的に内向の世代なのだが、70年代のこのタッチは今でも新鮮で、思えば日本映画はこの宝の山に殆ど手を付けていないのだった(古井由吉や後藤明生原作の映画ってあったっけ)。
身を持て余して畳を転がりまわり、男の部屋で田山花袋の『布団』にまで及ぶのに、デニムみたいなモンペ履いた二階堂の印象はどこまでも清潔だ。河原での母娘の恋愛談義はひとつのクライマックスで、性の暗がりを前にとても理性的で工藤夕貴が素晴らしく、印象に残る。
しかし長谷川博己関連の件は冴えないと思う。序盤でヴァイオリンの音に惹かれて二階堂が外に出るシーンがあるが、ここは二階堂の主観なのだから見えるはずのない長谷川の演奏ショットを映してはいけないだろう。熟れたトマトもイマイチ。神社のキスシーンはいいもので、これだけにして濡れ場など省けばいいのに。
「海は焼けなかったのね」のワンカットは、東京湾を具体的にどこから眺めるカットなのだろう。わたしにはフクシマにしか見えなかった。この作品の狙いは戦後70年にフクシマを重ねることにあったと勝手に曲解して納得した。
ラストは蒙昧に過ぎる。「戦争が終ってバンザイじゃない娘を描くことで、この国の戦後を問えるのではないかと思った」という監督のコメントは、その戦後を描かないと伝わってこないのではないか(このままでは、バンザイじゃないのは長谷川の妻子で、二階堂は戦犯ということになると思うが如何か)。しかし一方、エンドタイトルで朗読される茨木のり子の詩(中学で習った詩だ)を本編とシンクロさせる手法は斬新で素晴らしく、殆ど暴力的に感動させられた。性衝動を理性的に眺めやるもうひとつの目線、という主題が、この朗読で見事に完結している。
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