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[コメント] ハンナ・アーレント(2012/独=イスラエル=ルクセンブルク=仏)

これは評価の固まった偉人の伝記作品でもなければ、死んだ犬ナチスをもう一度蹴飛ばす娯楽作品でもない。ロングランは故なきことではない。民族的な言説空間に埋没するなというメッセージは、いまの日本にこそ必要なものだ。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ネットで飛び交う悪罵交じりの右翼的言説は、この間までは2チャンネルや匿名のSMSの出来事だったのが、最近ではフェイスブックに堂々署名入りで流れている。警察白書はヘイト・スピーチ対策を掲載している。これらを憂いている人の声は、悪罵に埋没しがちだ。本作の日本でのロングランは、この居心地の悪い、不自由な現状と深く関わっていると思う。本作の成り立ちにはヨーロッパのネオ・ナチ台頭への批評が込められているに違いなく、事態は本邦と通底しているのだろう。本作は我々のよって立つべき足場を確認させてくれる、素晴らしい映画である。

アーレントへのバッシングは今で云うHPの炎上のようなものだ。彼女の論文に対する批判は、亡命先での数少ない仲間から起こるとともに、署名匿名、見ず知らずの者から寄せられ、その悪罵ぶりも紹介される。彼女は最初、無視を決め込む。「記事を読んでもいない人に何を云っても無駄」。知識人とはそういうものかと思わされるが、一転、返事を書くことを決める。

「一つの民族を愛したことはないわ」とアーレントは病床にあるシオニストの旧友に語る。「ユダヤ人を愛せと? 私が愛すのは友人、それが唯一の愛情よ」。旧友は寝返り、アーレントに背を向ける。理性が頑なな感情に拒絶される、この件は辛い。我々の周りは、人間である前にユダヤ人である、日本人である、○○人である者のなんと多いことか。

重要なのは、アーレントのこのスタンスは個人的な信念などではなく、彼女の思想と直結していることだ。映画はこれを丁寧に説明している。一方、シオニストたちは悪人を殺せば問題は解決すると考えた。その結果はパレスチナに対する余りにも官僚的で「陳腐」な現状である。イスラエルに欠けているのは哲学であり、自分たちがナチの似姿になることがあるという想像力だ。

アーレントの見解はこの半世紀に評価が固まっており、誰もがアーレントに沿って『ショアー』を観たのも、もう四半世紀も前のことだ。だから、何を今更騒いでいるのだと訝しがりながら劇場に行き、旦那と仲睦まじいアーレントの造形に、微笑ましい伝記映画なのだろうと思いながら観ていると、とんでもない展開がまっている。前半は生身の人間を提示するためのプロセスであり、アーレントは我々と同じ孤独な人間に過ぎなくなる。

映画としては、終盤に講壇から思想を直接観客に訴えかける、チャップリンを起源とし終戦直後の日本で大流行した(『わが青春に悔なし』『女性の勝利』『浦島太郎の末裔』など)いわゆるアイディア映画に属する。本作の独創はこの形式を云わば脱構築したことであり、作品を演説の成功で終わらせず、立場を鮮明にしたことに伴う様々な困難を予感させつつ唐突にエンドロールに至ることである。現在進行形で捉えられたアーレントは、この後周囲の批判に挫けるかも知れないのだ。貴方ならどうする、との問いかけを、観客はひとりひとり、我が事として劇場の外へ持ち帰らねばならない。見事な収束、だが感心している場合ではないのである。

(評価:★5)

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