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[コメント] ありきたりの映画(1968/仏)

議論の内容を聴くべき作品であり、映像は観る者を喜ばせないでおこうという意思統一(悪意というべきか)でもって撮られている。タイトルはすごい反語。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







五月革命のさなか、議論は現実味を帯びている。生協や農協と連帯できれば食うに困らないし、政府に対抗できるぞ、とか。工場は自主管理になった暁には自動車よりバスをつくるべきだとも云っている、道路は渋滞しているし。ドゴールやブルジョアジーを暗殺すべきかどうかを激論したりもしている。この生々しさが見どころ、というか聴きどころである。

学生は卒業すればデカの側で信用ならんと労働者に云われ、学生が特権なら剥奪されるべきだと学生は応じ、大学は労働者のために開放せよと労働者は語る。興味深いのは、この学生と労働者の連帯に係る議論のベースとして、観念論で語っても駄目だが、唯物論に沿って語ることができれば、当然に意見は集約され、連帯も可能になる、という暗黙の了解を双方が共有していること。「それって観念論だよ」「あ、そっか」という。「大きな物語」であった(史的)唯物論とはかつて、こういう機能が期待されていたのが確認できる。いまはそんな便利なものはない。

議論する面々の顔が藪に隠れてみえないのは、容姿だの表情だのは観念論であり、唯物論で語るには障害であるからだ、と映画が主張しているかのようだ。

なお、これら議論の音声にときどきゴダールのナレーションが被せられる訳だが、状況報告はともかく、『東風』のような詩的なアジテーションは、無理矢理に結構を整えたようで面白くない。単に延々終わらない議論に終始させたほうが趣旨が一貫していただろう。そんな作品になったのでは困るのだろうが。

(評価:★4)

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