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[コメント] ポエトリー アグネスの詩(うた)(2010/韓国)

詩作とは自分が美しいと感じたことを書くことではない、ということなのだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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そのように教えられた講座の生徒達は、素晴らしい告白をするのについに書けずに終わる。講師は後輩に笑われる。試作の動機が掴めず悩んでいたミジャは、それを聞いて泣き崩れる。詩は醜いもの、書きにくいものを書く決心であり、決心する生活であると知る。そしてそれは、自分と自分の生活を否定する他者に憑依されることであり、その他者と共に書くことに他ならなかった。にもかかわらず「私は夢を見始めます」と読まれるミジャ=アグネスの詩は美しい。ほとんど奇跡のようだ。

ミジャは孫が刑事に連行されるのにバドミントンを続ける。彼女は絶望していると同時に、アグネスに憑依されている。しかし、いつから憑依されているのか。孫の足の爪を切るときからか、食卓に写真を置くときからか。いや、アグネスの母親に愁訴を忘れて万物の死を語るとき、スーパーの会長と「性的関係」を持つとき、すでにミジャはアグネスではなかっただろうか。するとラストシーンのアグネスの微笑みが、別の意味を持って立ち現われてくる。私はこの文章を書きながらこれに気づいて慄然としている。文章を紡ぐとは、このような体験であるのだろう。

思えば主人公が進行性の認知症であるという設定には危ういところがある。彼女が孫に直接諭さないこと、及びスーパーの会長を恐喝することに対する道徳的な非難を上手に避けるための設定と受け取られかねないから。私は生真面目な人間だが、しかし本作にそのような厭らしさは感じられなかった。道徳を超えた深度に達しているからだと思う。

全編、バラッとした纏まりのない風景描写が素晴らしい。韓国には(一泊二日で観光しただけだけど)そんな印象が確かにあるし、同時にミジャの心情風景を表している。彼女がベンチからアパートの前の樹木を見上げる茫洋としたショットなど、とてつもない求心力がある。そんなとき、ユン・ジョンヒ田中絹代の面影をみる瞬間がある。

しかし、この邦題も酷い。ネタバレをタイトルにしないでほしい。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)煽尼采 のこのこ[*] けにろん[*]

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